古代ローマコイン 共和政終焉期 マルクス・アントニウス 前39年 エフェソス発行 キストフォルス銀貨 アントニウス肖像 オクタウィア(オクタウィアヌスの姉)肖像 第2回三頭政治によるアントニウスとオクタウィアの結婚のコイン
古代ローマコイン 共和政終焉期 マルクス・アントニウス 前39年 エフェソス発行 キストフォルス銀貨 アントニウス肖像 オクタウィア(オクタウィアヌスの姉)肖像 第2回三頭政治によるアントニウスとオクタウィアの結婚のコイン
販売価格: 200,000円(税込)
作品詳細
古代ローマコイン マルクス・アントニウス オクタウィア キストフォルス銀貨
前39年夏〜秋、エフェソス発行
オモテ:M ANTONIVS IMP COS DESIG ITER ET TRET (Marcus Antonius Imperator Consul Designatus Iterum et tertium マルクス・アントニウス インペラトル 2回、そして3回コンスルに任命された)
右向きのマルクス・アントニウスの肖像 周りはツタのリース(デュオニソスの象徴)
ウラ:III VIR RPC(Triumviri Rei Publicae Constituandae 国家再建3人委員)
キスタ(祭具箱)の上に右向きのオクタウィアの肖像 その両側に2匹の蛇
サイズ:10,21g 28mm
貨幣発行人:マルクス・アントニウス
前39年にエフェソスで発行されたキストフォルス銀貨。
前40年、第2回三頭政治のブルンディジウムの和平の象徴として、オクタウィアヌスの姉オクタウィアはアントニウスと結婚した。
コインの意匠はこの結婚を記念にオモテ面にはアントニウスの肖像、ウラ面にはオクタウィアの肖像が表された。オクタウィアの肖像側の銘には三頭政治を表すIII VIR RPC(Triumviri Rei Publicae Constituandae 国家再建3人委員)
の銘も刻まれている。
キストフォルス銀貨はペルガモン王国の貨幣単位で前2世紀初めごろから使用されてきた。
エフェソスではペルガモンの支配下に入ってからキストフォルス銀貨が発行された。
キストフォルス銀貨の重量はローマの3デナリウス銀貨に相当する。
このアントニウスのキストフォルス銀貨は、もともとのペルガモンやエフェソスで作られたキストフォルス銀貨の意匠を踏襲している。
オクタウィアの肖像はキスタの上に置かれており、さらに2匹の蛇が絡み合っている。
オクタウィアはアントニウスとの結婚によって2女をもうけたが、エジプトのクレオパトラの存在によってこの結婚は破綻することになった。
<マルクス・アントニウス>
誕生前83年。死没前30年。
古代ローマの将軍・政治家。プレプス(平民)出身。
前54年からガリアでユリウス・カエサルの幕僚として服務。
前52年財務官(クァエストル)、前50年卜占官、その翌年護民官(トリブヌス・プレブス)に選ばれ、ローマでカエサルの代理人を務めた。
しかしカエサルとポンペイウスが対立すると元老院によって追放されカエサルのもとに逃れた。
前50年ファルサルスの戦いではカエサルに従ってポンペイウスを破り前48-47年には騎兵隊長となった。
前44年執政官(コンスル)となり、同年3月カエサルが暗殺されるとその遺言状を公表。追悼演説で民心を扇動し、暗殺者ブルートゥスらはローマ退去を余儀なくされた。
カエサルの養子で財産相続人と定められたオクタウィアヌスと初め対立したが、前43年和解、両者にレピドゥスを加えて第二次三頭政治が成立した。
前42年オクタウィアヌスとともにマケドニアのフィリッピでブルートゥスとカッシウスを破り、この戦いの殊勲者としてアントニウスの信望は高まった。東方問題処理のため東方にとどまり、前41年キリキアのタルソスにクレオパトラを呼び寄せたが、彼女と恋に落ち、その年の冬中アレクサンドリアでともに暮らした。
前40年イタリアに戻り、オクタウィアヌスと会見して協定を結び、アントニウスは東方属州、オクタウィアヌスは西方属州を統治することにし、この協定を固めるためアントニウスはオクタウィアヌスの姉オクタウィアと結婚した。
しかし前37年末頃クレオパトラと結婚してアレクサンドリアに住みつき、オクタウィアヌスとの対立は激化。
<オクタウィア>
誕生前69年 死没前11年
ローマ初代皇帝アウグストゥスの姉。
前54年ガイウス・マルケルスと結婚し、1男2女を産んだが、前40年マルケルスが死ぬと、当時三頭政治の成員であったアントニウスと弟オクタウィアヌス(アウグストゥス)とのブルンディシウムの和の固めとしてアントニウスと結婚、2女を産んだ。
しかし前36年アントニウスはパルティア遠征に赴き、東方でクレオパトラとの情事を復活。
前35年兵員や物資を補給してアテネまできたオクタウィアは追返され前32年離婚された。
オクタウィアはアントニウスと前妻フルウィアとの子、クレオパトラの子らを実子とともに誠実に養育し、世人の尊敬と同情を得た。
<祭具箱>(Cista)
ディオニソスの祭儀で使う道具を入れたバスケット。キストフォルス銀貨(Cistophorus)の名はこの祭具箱Cistaに由来する。バスケットからディオニソスの祭儀で使われたと思われる蛇が出ている
<へび>
ペルガモンでは蛇はワインと狂乱の神であるディオニソスの祭儀と関連があり、ディオニソスの象徴であった。
また医神アスクレピオスもヘビをその象徴としている。これはヘビが脱皮する姿と医術で蘇生することが関連付けられていると思われる。またペルガモンには名高いアスクレピオス神殿があり、現在も遺跡が残されている。
前39年夏〜秋、エフェソス発行
オモテ:M ANTONIVS IMP COS DESIG ITER ET TRET (Marcus Antonius Imperator Consul Designatus Iterum et tertium マルクス・アントニウス インペラトル 2回、そして3回コンスルに任命された)
右向きのマルクス・アントニウスの肖像 周りはツタのリース(デュオニソスの象徴)
ウラ:III VIR RPC(Triumviri Rei Publicae Constituandae 国家再建3人委員)
キスタ(祭具箱)の上に右向きのオクタウィアの肖像 その両側に2匹の蛇
サイズ:10,21g 28mm
貨幣発行人:マルクス・アントニウス
前39年にエフェソスで発行されたキストフォルス銀貨。
前40年、第2回三頭政治のブルンディジウムの和平の象徴として、オクタウィアヌスの姉オクタウィアはアントニウスと結婚した。
コインの意匠はこの結婚を記念にオモテ面にはアントニウスの肖像、ウラ面にはオクタウィアの肖像が表された。オクタウィアの肖像側の銘には三頭政治を表すIII VIR RPC(Triumviri Rei Publicae Constituandae 国家再建3人委員)
の銘も刻まれている。
キストフォルス銀貨はペルガモン王国の貨幣単位で前2世紀初めごろから使用されてきた。
エフェソスではペルガモンの支配下に入ってからキストフォルス銀貨が発行された。
キストフォルス銀貨の重量はローマの3デナリウス銀貨に相当する。
このアントニウスのキストフォルス銀貨は、もともとのペルガモンやエフェソスで作られたキストフォルス銀貨の意匠を踏襲している。
オクタウィアの肖像はキスタの上に置かれており、さらに2匹の蛇が絡み合っている。
オクタウィアはアントニウスとの結婚によって2女をもうけたが、エジプトのクレオパトラの存在によってこの結婚は破綻することになった。
<マルクス・アントニウス>
誕生前83年。死没前30年。
古代ローマの将軍・政治家。プレプス(平民)出身。
前54年からガリアでユリウス・カエサルの幕僚として服務。
前52年財務官(クァエストル)、前50年卜占官、その翌年護民官(トリブヌス・プレブス)に選ばれ、ローマでカエサルの代理人を務めた。
しかしカエサルとポンペイウスが対立すると元老院によって追放されカエサルのもとに逃れた。
前50年ファルサルスの戦いではカエサルに従ってポンペイウスを破り前48-47年には騎兵隊長となった。
前44年執政官(コンスル)となり、同年3月カエサルが暗殺されるとその遺言状を公表。追悼演説で民心を扇動し、暗殺者ブルートゥスらはローマ退去を余儀なくされた。
カエサルの養子で財産相続人と定められたオクタウィアヌスと初め対立したが、前43年和解、両者にレピドゥスを加えて第二次三頭政治が成立した。
前42年オクタウィアヌスとともにマケドニアのフィリッピでブルートゥスとカッシウスを破り、この戦いの殊勲者としてアントニウスの信望は高まった。東方問題処理のため東方にとどまり、前41年キリキアのタルソスにクレオパトラを呼び寄せたが、彼女と恋に落ち、その年の冬中アレクサンドリアでともに暮らした。
前40年イタリアに戻り、オクタウィアヌスと会見して協定を結び、アントニウスは東方属州、オクタウィアヌスは西方属州を統治することにし、この協定を固めるためアントニウスはオクタウィアヌスの姉オクタウィアと結婚した。
しかし前37年末頃クレオパトラと結婚してアレクサンドリアに住みつき、オクタウィアヌスとの対立は激化。
<オクタウィア>
誕生前69年 死没前11年
ローマ初代皇帝アウグストゥスの姉。
前54年ガイウス・マルケルスと結婚し、1男2女を産んだが、前40年マルケルスが死ぬと、当時三頭政治の成員であったアントニウスと弟オクタウィアヌス(アウグストゥス)とのブルンディシウムの和の固めとしてアントニウスと結婚、2女を産んだ。
しかし前36年アントニウスはパルティア遠征に赴き、東方でクレオパトラとの情事を復活。
前35年兵員や物資を補給してアテネまできたオクタウィアは追返され前32年離婚された。
オクタウィアはアントニウスと前妻フルウィアとの子、クレオパトラの子らを実子とともに誠実に養育し、世人の尊敬と同情を得た。
<祭具箱>(Cista)
ディオニソスの祭儀で使う道具を入れたバスケット。キストフォルス銀貨(Cistophorus)の名はこの祭具箱Cistaに由来する。バスケットからディオニソスの祭儀で使われたと思われる蛇が出ている
<へび>
ペルガモンでは蛇はワインと狂乱の神であるディオニソスの祭儀と関連があり、ディオニソスの象徴であった。
また医神アスクレピオスもヘビをその象徴としている。これはヘビが脱皮する姿と医術で蘇生することが関連付けられていると思われる。またペルガモンには名高いアスクレピオス神殿があり、現在も遺跡が残されている。