古代ローマコイン 共和政期 デナリウス銀貨 前54年 マルクス・ユニウス・ブルートゥス(クイントゥス・セルウィリウス・カエピオ・ブルートゥス) ブルータスが最初に発行したコイン
古代ローマコイン 共和政期 デナリウス銀貨 前54年 マルクス・ユニウス・ブルートゥス(クイントゥス・セルウィリウス・カエピオ・ブルートゥス) ブルータスが最初に発行したコイン
販売価格: 220,000円(税込)
作品詳細
古代ローマコイン デナリウス銀貨 マルクス・ユニウス・ブルートゥス(クイントゥス・セルウィリウス・カエピオ・ブルートゥス)
前54年、ローマ発行
オモテ面:BRVTVS(ブルートゥス) ルキウス・ユニウス・ブルートゥスの肖像
ウラ面:AHALA(アハラ) ガイウス・セルウィリウス・アハラの肖像
3,42g
カエサルを暗殺したマルクス・ユニウス・ブルートゥスが最初に発行したコイン。
この時のブルータスのフルネームは、母セルフィリアの兄弟カエピオニスの養子となっていたため、クイントゥス・セルウィリウス・カエピオ・ブルートゥスであった。
ブルータスが発行した最初のコイン
ブルータスは前91-82年頃に出生した。
この時ローマは、スッラとマリウスの対立による内乱、続く独裁官スッラの就任という、激動の時であった。
つまり、ローマ共和政という名の、ブルータス家が属する階級が支配していた貴族寡頭政が、終焉へと徐々に向かおうとしていた時期であったのだ。スッラは軍事と政治を強く結びつけた恐怖政治で知られる。ローマ人ながらローマに初めて進軍し、元老院を脅し、東方での軍事権を掌握した。
この時代、スッラの元で活躍し、力を得たのは、後にカエサルとの三頭政治で知られるポンペイウスであった。
前77年、内乱によって、ブルータスの父はポンペイウスに殺害された。
この時のブルータスはまだ10歳程度であった。
その後、ブルータスの母セルウィリア・カエピオニスはデキムス・ユニウス・シラヌスと再婚したが、デキムス・ユニウス・シラヌスも前59年頃に死去した。
この頃にブルータスは、母セルウィリアの兄弟の養子となり、カエピオの名を名乗るようになった。
母セルウィリアは野心的で、政治的影響力を持った女性であった。
なお、セルウィリアはカエサルと愛人関係にあったことから、ブルータスはカエサルの子であるという後世のゴシップが存在するが、これはあくまでも歴史を面白くしようとするゴシップにすぎない。
ブルータスの名が初めて史料に登場するのは、前59年に起きたVettius事件(ウェッティウス事件)である。
ルキウス・ウェッティウスという謎の人物が、当時ローマで最も有力な富豪となっていたポンペイウスの暗殺計画があることを告発したのだ。
ウェッティウスは、前62年のカティリーナの陰謀の時に、キケロに情報提供したことで名を売った、謎多き情報屋であった。
ウェッティウスはコンスル(執政官)のビブルス、スクリボニウス・クリオ、そしてブルータスがポンペイウス暗殺計画を企てていると訴えたのだ。
しかし、この情報を信じる者はおらず、逆にウェッティウスが牢獄に入れられてしまったのであった。
ウェッティウスは、明くる日の答弁で、ブルータスの名を一切出さなくなり、結局、ウェッティウスは牢獄の中で死んでいるのが見つかり、事件は幕を閉じた。
この謎めいたウェッティウス事件の真相は闇に包まれているが、もしかすると、ブルータスの政界進出を阻止する陰謀が失敗したことを意味しているのかもしれない。
翌前58年、ブルータスは叔父カトーのキプロス赴任について行き、前56年頃にはローマに戻ってきたと推測されている。
その後、前54年頃、ブルータスは貨幣発行三人委員として、始めてコインを発行した。その時のコインがこのデナリウス銀貨である。
貨幣発行三人委員という役職は、共和政ローマの公職者のキャリアの門出であり、この役職に就いた後にクァエストル(財務官)に就任することが多かった。
最初のコインは、ブルータスの家柄を最大限にアピールする意匠が使われた。
ブルータスは、翌前53年のクァエストル(財務官)当選に向けて、誇れる家柄をコインでアピールしたと推測される。
コインには、両面にブルータスの祖先の肖像が刻まれた。
オモテ面にはローマ共和政の創始者ルキウス・ユニウス・ブルートゥスの肖像とBRVTVSの銘が刻まれている。
ルキウス・ユニウス・ブルートゥスは、前509年、傲慢王と呼ばれたタルクィ二ウスを追放して、王政ローマを終結させ、ローマで初めて選挙でコンスル(執政官)に就き、共和政を開始した人物である。
傲慢王タルクィニウスが追放される契機となったのはルクレティアの凌辱事件であった。
タルクィニウスの息子セクストゥスがコッラティヌスの妻ルクレティアを凌辱し、それを恥じたルクレティアは短剣で自害したのであった。
この凌辱事件を皮切りに、王政に対する不満が爆発し、タルクィニウスはローマから追放された。
ブルートゥス、コッラティヌスの2名が、選挙により初代コンスル(執政官)となった。
この時ブルートゥスは、ルクレティアが自決した血塗られた短剣を手に取って、二度とローマに王を置かないと誓ったのであった。
プルタルコス(1-2世紀のギリシャ人の歴史家)によれば、短剣を手にした初代コンスル、ブルートゥスの彫像がカピトリーニの丘に建っていたという。
このローマ共和政開始のエピソードは伝説であり、ローマ共和政を支配していた貴族たちが、自身の威厳を高めるために、前2世紀頃に創作したと推測されている。
コインウラ面にはガイウス・セルウィリウス・アハラの肖像が刻まれている。
この人物も伝説上の前5世紀の英雄で、ブルータスの母セルウィリアの祖先とされる。
前439年、アハラは独裁者になろうとしたスプリウス・マエリウスを脇の下に隠し持っていた短剣で暗殺し、ローマ市民の自由を守ったと云う。
「アハラ」は彼が短剣を隠し持っていた「わきの下」を意味するとされる。
以上のように、ブルータスがコインに刻んだ祖先の英雄は、どちらも短剣によって、暴君からローマ共和政を守った人物なのである。
前44年3月15日の短剣によるブルータスのカエサル暗殺は、これらの祖先の短剣の伝説を踏まえての行為であった。
前54年、ローマ発行
オモテ面:BRVTVS(ブルートゥス) ルキウス・ユニウス・ブルートゥスの肖像
ウラ面:AHALA(アハラ) ガイウス・セルウィリウス・アハラの肖像
3,42g
カエサルを暗殺したマルクス・ユニウス・ブルートゥスが最初に発行したコイン。
この時のブルータスのフルネームは、母セルフィリアの兄弟カエピオニスの養子となっていたため、クイントゥス・セルウィリウス・カエピオ・ブルートゥスであった。
ブルータスが発行した最初のコイン
ブルータスは前91-82年頃に出生した。
この時ローマは、スッラとマリウスの対立による内乱、続く独裁官スッラの就任という、激動の時であった。
つまり、ローマ共和政という名の、ブルータス家が属する階級が支配していた貴族寡頭政が、終焉へと徐々に向かおうとしていた時期であったのだ。スッラは軍事と政治を強く結びつけた恐怖政治で知られる。ローマ人ながらローマに初めて進軍し、元老院を脅し、東方での軍事権を掌握した。
この時代、スッラの元で活躍し、力を得たのは、後にカエサルとの三頭政治で知られるポンペイウスであった。
前77年、内乱によって、ブルータスの父はポンペイウスに殺害された。
この時のブルータスはまだ10歳程度であった。
その後、ブルータスの母セルウィリア・カエピオニスはデキムス・ユニウス・シラヌスと再婚したが、デキムス・ユニウス・シラヌスも前59年頃に死去した。
この頃にブルータスは、母セルウィリアの兄弟の養子となり、カエピオの名を名乗るようになった。
母セルウィリアは野心的で、政治的影響力を持った女性であった。
なお、セルウィリアはカエサルと愛人関係にあったことから、ブルータスはカエサルの子であるという後世のゴシップが存在するが、これはあくまでも歴史を面白くしようとするゴシップにすぎない。
ブルータスの名が初めて史料に登場するのは、前59年に起きたVettius事件(ウェッティウス事件)である。
ルキウス・ウェッティウスという謎の人物が、当時ローマで最も有力な富豪となっていたポンペイウスの暗殺計画があることを告発したのだ。
ウェッティウスは、前62年のカティリーナの陰謀の時に、キケロに情報提供したことで名を売った、謎多き情報屋であった。
ウェッティウスはコンスル(執政官)のビブルス、スクリボニウス・クリオ、そしてブルータスがポンペイウス暗殺計画を企てていると訴えたのだ。
しかし、この情報を信じる者はおらず、逆にウェッティウスが牢獄に入れられてしまったのであった。
ウェッティウスは、明くる日の答弁で、ブルータスの名を一切出さなくなり、結局、ウェッティウスは牢獄の中で死んでいるのが見つかり、事件は幕を閉じた。
この謎めいたウェッティウス事件の真相は闇に包まれているが、もしかすると、ブルータスの政界進出を阻止する陰謀が失敗したことを意味しているのかもしれない。
翌前58年、ブルータスは叔父カトーのキプロス赴任について行き、前56年頃にはローマに戻ってきたと推測されている。
その後、前54年頃、ブルータスは貨幣発行三人委員として、始めてコインを発行した。その時のコインがこのデナリウス銀貨である。
貨幣発行三人委員という役職は、共和政ローマの公職者のキャリアの門出であり、この役職に就いた後にクァエストル(財務官)に就任することが多かった。
最初のコインは、ブルータスの家柄を最大限にアピールする意匠が使われた。
ブルータスは、翌前53年のクァエストル(財務官)当選に向けて、誇れる家柄をコインでアピールしたと推測される。
コインには、両面にブルータスの祖先の肖像が刻まれた。
オモテ面にはローマ共和政の創始者ルキウス・ユニウス・ブルートゥスの肖像とBRVTVSの銘が刻まれている。
ルキウス・ユニウス・ブルートゥスは、前509年、傲慢王と呼ばれたタルクィ二ウスを追放して、王政ローマを終結させ、ローマで初めて選挙でコンスル(執政官)に就き、共和政を開始した人物である。
傲慢王タルクィニウスが追放される契機となったのはルクレティアの凌辱事件であった。
タルクィニウスの息子セクストゥスがコッラティヌスの妻ルクレティアを凌辱し、それを恥じたルクレティアは短剣で自害したのであった。
この凌辱事件を皮切りに、王政に対する不満が爆発し、タルクィニウスはローマから追放された。
ブルートゥス、コッラティヌスの2名が、選挙により初代コンスル(執政官)となった。
この時ブルートゥスは、ルクレティアが自決した血塗られた短剣を手に取って、二度とローマに王を置かないと誓ったのであった。
プルタルコス(1-2世紀のギリシャ人の歴史家)によれば、短剣を手にした初代コンスル、ブルートゥスの彫像がカピトリーニの丘に建っていたという。
このローマ共和政開始のエピソードは伝説であり、ローマ共和政を支配していた貴族たちが、自身の威厳を高めるために、前2世紀頃に創作したと推測されている。
コインウラ面にはガイウス・セルウィリウス・アハラの肖像が刻まれている。
この人物も伝説上の前5世紀の英雄で、ブルータスの母セルウィリアの祖先とされる。
前439年、アハラは独裁者になろうとしたスプリウス・マエリウスを脇の下に隠し持っていた短剣で暗殺し、ローマ市民の自由を守ったと云う。
「アハラ」は彼が短剣を隠し持っていた「わきの下」を意味するとされる。
以上のように、ブルータスがコインに刻んだ祖先の英雄は、どちらも短剣によって、暴君からローマ共和政を守った人物なのである。
前44年3月15日の短剣によるブルータスのカエサル暗殺は、これらの祖先の短剣の伝説を踏まえての行為であった。