古代ローマコイン 属州貨(マケドニア・フィリッピ) アウグストゥス ブロンズ貨 前27-後14年 アウグストゥスの肖像 アウグストゥスとユリウス・カエサルの像
古代ローマコイン 属州貨(マケドニア・フィリッピ) アウグストゥス ブロンズ貨 前27-後14年 アウグストゥスの肖像 アウグストゥスとユリウス・カエサルの像
販売価格: 33,000円(税込)
作品詳細
ローマコイン 属州貨(マケドニア・フィリッピ) アウグストゥス ブロンズ貨 アウグストゥスとユリウス・カエサルの像
前27年ー後14年発行
オモテ:COL AVG IVL PHIL IVSSV AVG 月桂冠を戴いた右向きのアウグストゥスの肖像
ウラ:AVG DIVI F DIVO IVL アウグストゥスとユリウス・カエサルの像、左が軍服を着たアウグストゥスで、右がトーガを着たカエサル
サイズ:6,32g 24mm
フィリッピは前356年にフィリッポス2世によってつくられた東マケドニアの都市。前167年アンティゴノス朝が滅びマケドニアはローマの領土となった。
ユリウス・カエサルの死後、アントニウスとオクタヴィアヌスの連合軍は、ブルートゥス、カッシウス率いる共和政支持軍をフィリッピで完敗させた。その後アントニウスとオクタヴィアヌスは、退役兵をフィリッピに入植させ、戦勝を記念してをコローニア・ウィクトリクス・フィリッペンシウムとした。
前30年、オクタヴィアヌスはさらに市の再建を進め、イタリアから多くの退役兵をフィリッピに入植させ、彼の氏族ユリウス家にちなんでコローニア・ユリア・フィリッピネンシスとした。
さらに紀元前27年、オクタヴィアヌスが元老院からアウグストゥスの称号を贈られた後、コローニア・アウグスタ・ユリア・フィリッピネンシス)(Colonia Augusta Iulia Philippensis)と改称。
コインについて:アウグストゥスとユリウス・カエサルの2人の彫像が刻まれたマケドニア・フィリッピのブロンズ貨です。アウグストゥスは、カエサルの血筋であるユリウス家と自身を称えるため、コイン図像のようなカエサルとアウグストゥスが並んだ彫像をフィリッピのフォーラムに建てたのかもしれない。
前27年ー後14年発行
オモテ:COL AVG IVL PHIL IVSSV AVG 月桂冠を戴いた右向きのアウグストゥスの肖像
ウラ:AVG DIVI F DIVO IVL アウグストゥスとユリウス・カエサルの像、左が軍服を着たアウグストゥスで、右がトーガを着たカエサル
サイズ:6,32g 24mm
フィリッピは前356年にフィリッポス2世によってつくられた東マケドニアの都市。前167年アンティゴノス朝が滅びマケドニアはローマの領土となった。
ユリウス・カエサルの死後、アントニウスとオクタヴィアヌスの連合軍は、ブルートゥス、カッシウス率いる共和政支持軍をフィリッピで完敗させた。その後アントニウスとオクタヴィアヌスは、退役兵をフィリッピに入植させ、戦勝を記念してをコローニア・ウィクトリクス・フィリッペンシウムとした。
前30年、オクタヴィアヌスはさらに市の再建を進め、イタリアから多くの退役兵をフィリッピに入植させ、彼の氏族ユリウス家にちなんでコローニア・ユリア・フィリッピネンシスとした。
さらに紀元前27年、オクタヴィアヌスが元老院からアウグストゥスの称号を贈られた後、コローニア・アウグスタ・ユリア・フィリッピネンシス)(Colonia Augusta Iulia Philippensis)と改称。
コインについて:アウグストゥスとユリウス・カエサルの2人の彫像が刻まれたマケドニア・フィリッピのブロンズ貨です。アウグストゥスは、カエサルの血筋であるユリウス家と自身を称えるため、コイン図像のようなカエサルとアウグストゥスが並んだ彫像をフィリッピのフォーラムに建てたのかもしれない。