<サモトラケのニケの誕生秘話の古代ギリシャコインをご紹介>
サモトラケのニケ、この作品を知らない人は世界にいないと言っても言い過ぎではない古代美術の名作。
このページではサモトラケのニケ誕生にまつわる、ある1枚の古代コインをご紹介します。
サモトラケのニケは、ルーブル美術館のダリュの階段踊り場で、来る日も来る日も、2万人もの来館者(ルーブル美術館の年間来場者数は約800万人)を暖かく出迎えています。
その美しい翼を広げた勝利の女神を見ないでルーブル美術館を後にする人はまずいないであろう美術館のシンボルともいえる傑作です。
しかし、実はこのサモトラケのニケ、最初に発見された時は、この魅力的な翼はついていませんでした。
サモトラケのニケはエーゲ海の北東に位置するサモトラケ島で、1863年、当時トルコのエディルネのフランス副領事代理であった考古学愛好家のシャルル・シャンポワゾによって発見されました。
シャンポワゾは、当時ルーブル美術館に収蔵するために、貴重な古代美術品を求めてサモトラケ島の遺跡を発掘を行っていました。
ある日、彼は大きな女性の彫像の胴体部分を発見しました。
同じ場所から、次々と彫像の衣や翼の部分の断片が見つかりました。
この時、彫像の頭部と腕も見つけ出そうと、発掘が続けられましたが、結局見つけることはできませんでした。
彫像は勝利の女神ニケを表していると断定され、胴体部分、バラバラで発見された翼や衣の断片がルーブル美術館に送られました。
この時、ニケが見つかった場所で、数々の灰色の大きな大理石の塊も発見されました。これは後に、ニケの彫像を載せていた船首の形をした台座だと断定されるのですが、シャンポワゾはこれらを墓の一部だと思い、そこに残したままにしました。
最初にルーブル美術館でニケが展示されたのは1866年で、その時はまだ翼はついていない状態でした。
そして、少し時が経って、1875年、オーストリアの発掘チームがサモトラケ島の聖域の発掘を行いました。
発掘チームの1人であった建築家アロイス・ハウゼーが、ニケが発見された場所に残されていた数々の灰色の大理石を調査したところ、これらを組み立てるとニケの彫像を載せていた船首の形をした台座になると結論づけ、ニケの彫像の再現デッサンをおこしました。
この時、建築家ハウゼ―がニケの彫像の再現デッサンを起こすにあたって参考にしたのが、船首で翼を広げるニケの姿が刻まれたマケドニア王国のデメトリオス1世のテトラドラクマ銀貨なのです。
このコインの存在から、当時(19世紀末)は、サモトラケのニケは、マケドニアのデメトリオス1世がサラミスの海戦の勝利を祝して、サモトラケの神殿に奉納したモニュメントだと考えられていました。
マケドニア王国デメトリオス1世のテトラドラクマ銀貨 前300-295年頃発行
このコインはデメトリオス1世がサラミスの海戦で勝利した後に発行したと推定されています。
サラミスの海戦は前306年、デメトリオス1世がキプロス島のサラミスでエジプトのプトレマイオス1世に勝利した海戦。
この戦いによってデメトリオス1世はキプロス島を占領し、父アンティゴノスと共にマケドニアの王となりました。
船首に建つ勝利の女神ニケの意匠は海戦での勝利を示唆していると推測されています。
1897年、このオーストリアの発掘チームの調査結果を知らされたシャンポワゾは、ニケの発見場所に残されていた灰色の大理石をルーブル美術館に送らせ、美術館の中庭でニケの修復作業が開始されました。
当時のルーブル美術館の古代美術の学芸員フェリックス・ラヴェソン・モリアンは、建築家アロイス・ハウゼーがデメトリオス1世のテトラドラクマ銀貨のコインを参考にして起こした再現デッサンを元にニケの彫像の復元を行いました。
この時、ニケの左の翼は断片を組み合わせて復元することができましたが、右の翼は断片がほとんど残っていなかったので、左の翼を型取りしたものを反転させて取り付けました。
船首の形の台座も発見された大理石をセメントで固め復元されました。
ようやく、1884年に修復が完成し、
翼が付けられたサモトラケのニケが初めてダリュの階段の踊り場に展示されました。
ルーブル美術館の高い吹き抜け天井の下の階段踊り場に置かれたサモトラケのニケは、階段を登ってきた来館者に、勝利の女神ニケが今まさに自身の目の前に大きな翼を広げ舞い降りてきたかのような感覚を抱かせます。
デメトリオス1世のコインの意匠を参考にした船首の台座、翼などの復元、そしてルーブル美術館のダリュの階段踊り場に配置するというアイディア。
これらが功を奏し、サモトラケのニケは、まさに勝利の女神として、世界中の来館者の心を勝ち取って、現在もルーブル美術館を象徴するモニュメントとして君臨し続けています。
現在では、研究が進められ、古代にサモトラケ島に建てられたサモトラケのニケは、デメトリオス1世と関連ないモニュメントであったとする説が有力です。
しかし、ルーブル美術館のあの皆様お馴染みの「サモトラケのニケ」は、このデメトリオス1世のコインなくしては誕生しえなかったのです。
サモトラケのニケ、この作品を知らない人は世界にいないと言っても言い過ぎではない古代美術の名作。
このページではサモトラケのニケ誕生にまつわる、ある1枚の古代コインをご紹介します。
サモトラケのニケは、ルーブル美術館のダリュの階段踊り場で、来る日も来る日も、2万人もの来館者(ルーブル美術館の年間来場者数は約800万人)を暖かく出迎えています。
その美しい翼を広げた勝利の女神を見ないでルーブル美術館を後にする人はまずいないであろう美術館のシンボルともいえる傑作です。
しかし、実はこのサモトラケのニケ、最初に発見された時は、この魅力的な翼はついていませんでした。
サモトラケのニケはエーゲ海の北東に位置するサモトラケ島で、1863年、当時トルコのエディルネのフランス副領事代理であった考古学愛好家のシャルル・シャンポワゾによって発見されました。
シャンポワゾは、当時ルーブル美術館に収蔵するために、貴重な古代美術品を求めてサモトラケ島の遺跡を発掘を行っていました。
ある日、彼は大きな女性の彫像の胴体部分を発見しました。
同じ場所から、次々と彫像の衣や翼の部分の断片が見つかりました。
この時、彫像の頭部と腕も見つけ出そうと、発掘が続けられましたが、結局見つけることはできませんでした。
彫像は勝利の女神ニケを表していると断定され、胴体部分、バラバラで発見された翼や衣の断片がルーブル美術館に送られました。
この時、ニケが見つかった場所で、数々の灰色の大きな大理石の塊も発見されました。これは後に、ニケの彫像を載せていた船首の形をした台座だと断定されるのですが、シャンポワゾはこれらを墓の一部だと思い、そこに残したままにしました。
最初にルーブル美術館でニケが展示されたのは1866年で、その時はまだ翼はついていない状態でした。
そして、少し時が経って、1875年、オーストリアの発掘チームがサモトラケ島の聖域の発掘を行いました。
発掘チームの1人であった建築家アロイス・ハウゼーが、ニケが発見された場所に残されていた数々の灰色の大理石を調査したところ、これらを組み立てるとニケの彫像を載せていた船首の形をした台座になると結論づけ、ニケの彫像の再現デッサンをおこしました。
この時、建築家ハウゼ―がニケの彫像の再現デッサンを起こすにあたって参考にしたのが、船首で翼を広げるニケの姿が刻まれたマケドニア王国のデメトリオス1世のテトラドラクマ銀貨なのです。
このコインの存在から、当時(19世紀末)は、サモトラケのニケは、マケドニアのデメトリオス1世がサラミスの海戦の勝利を祝して、サモトラケの神殿に奉納したモニュメントだと考えられていました。
マケドニア王国デメトリオス1世のテトラドラクマ銀貨 前300-295年頃発行
このコインはデメトリオス1世がサラミスの海戦で勝利した後に発行したと推定されています。
サラミスの海戦は前306年、デメトリオス1世がキプロス島のサラミスでエジプトのプトレマイオス1世に勝利した海戦。
この戦いによってデメトリオス1世はキプロス島を占領し、父アンティゴノスと共にマケドニアの王となりました。
船首に建つ勝利の女神ニケの意匠は海戦での勝利を示唆していると推測されています。
1897年、このオーストリアの発掘チームの調査結果を知らされたシャンポワゾは、ニケの発見場所に残されていた灰色の大理石をルーブル美術館に送らせ、美術館の中庭でニケの修復作業が開始されました。
当時のルーブル美術館の古代美術の学芸員フェリックス・ラヴェソン・モリアンは、建築家アロイス・ハウゼーがデメトリオス1世のテトラドラクマ銀貨のコインを参考にして起こした再現デッサンを元にニケの彫像の復元を行いました。
この時、ニケの左の翼は断片を組み合わせて復元することができましたが、右の翼は断片がほとんど残っていなかったので、左の翼を型取りしたものを反転させて取り付けました。
船首の形の台座も発見された大理石をセメントで固め復元されました。
ようやく、1884年に修復が完成し、
翼が付けられたサモトラケのニケが初めてダリュの階段の踊り場に展示されました。
ルーブル美術館の高い吹き抜け天井の下の階段踊り場に置かれたサモトラケのニケは、階段を登ってきた来館者に、勝利の女神ニケが今まさに自身の目の前に大きな翼を広げ舞い降りてきたかのような感覚を抱かせます。
デメトリオス1世のコインの意匠を参考にした船首の台座、翼などの復元、そしてルーブル美術館のダリュの階段踊り場に配置するというアイディア。
これらが功を奏し、サモトラケのニケは、まさに勝利の女神として、世界中の来館者の心を勝ち取って、現在もルーブル美術館を象徴するモニュメントとして君臨し続けています。
現在では、研究が進められ、古代にサモトラケ島に建てられたサモトラケのニケは、デメトリオス1世と関連ないモニュメントであったとする説が有力です。
しかし、ルーブル美術館のあの皆様お馴染みの「サモトラケのニケ」は、このデメトリオス1世のコインなくしては誕生しえなかったのです。