古代ローマコイン 共和政期 前78年 マルクス・ウォルテイウス デナリウス銀貨 ユピテル神の肖像 カピトリーノの丘のユピテル神殿

古代ローマコイン 共和政期 前78年 マルクス・ウォルテイウス デナリウス銀貨 ユピテル神の肖像 カピトリーノの丘のユピテル神殿
古代ローマコイン 共和政期 マルクス・ウォルテイウス デナリウス銀貨

前78年、ローマ発行

貨幣発行人:マルクス・ウォルテイウス

オモテ:右向きのユピテル神の肖像

ウラ:M VOLTEI M F カピトリーノの丘にあったユピテル神殿 ぺディメント(上部三角の部分)に雷挺

サイズ:4,03g 18mm

<ユピテル神>

ギリシャ神話のゼウスと同一視された古代ローマ最高神。
ゼウス同様、雷を武器にし、高天から無量の魔術を行使しつつ世界を支配し、秩序と正義を維持する主権神で、マルスおよびクイリヌスとともに、フラメンと呼ばれる特別の神官を有し、元来はこの3神が、ローマ神界において三大主神格の地位を占めていたと思われる。
3人の大フラメンたちのなかでも、ユピテルの祭司だったフラメン・ディアリスは当然最も地位が高く、祭司団のなかで、王の地位を継承したレックスに次ぐ位にあるとされ、日常生活でも妻のフラミニカとともに、さまざまなタブーに服さねばならなかった。


<ローマ、カピトリーノの丘のユピテル神殿>
ユピテル神殿の創建については、発掘された陶片などからこの神殿が建設される以前から、カピトリーノの丘には小規模な神殿が存在していたことが分かっている。
ティトゥス・リウィウスによれば、カピトリーノの丘に神殿を建設する計画は、ルキウス・タルクィニウス・プリスクスの時代に構想され、サビニ人との戦争の後に基礎工事が行われたとされる。
しかし本格的な工事は、ルキウス・タルクィニウス・スペルブスによって行われた。
ユピテル神の座所とするために、当時すでに存在していた小祠は、鳥占いによってテルミヌス神のもの以外は撤去された。
神殿の建築にはエトルリアから職人が呼び寄せられ、テラコッタ装飾はウェイイの彫刻家ウゥルカによって作成されたとされる。
王スペルブスの追放後、神殿は執政官マルクス・ホラティウス・プルウィッルスによって共和政がスタートした紀元前509年奉献されたとされる。
神殿はエトルリアを起源とする3つの内陣神殿で、それぞれの内陣にはユピテル、ユノ、ミネルウァが祭られていたとされる。

前83年ユピテル神殿は民衆派(マリウス派)と閥族派(スッラ派)の抗争により全焼。
抗争の末、独裁官としてローマの実権を握ったルキウス・コルネリウス・スッラは、直ちに神殿の再建を指示。
スッラの死後、前69年執政官クィントゥス・ルタティウス・カトゥルスの時に再奉献された。


このコインの発行推定年は前78年。前83年の最初のユピテル神殿消失から5年が建っており、新しいユピテル神殿を建てている最中に発行された。
コインに刻まれているユピテル神殿はエトルリア建築様式(3つの内陣)から消失前のユピテル神殿であると推測されている。
神殿のペディメント(上部三角部分)にはユピテル神の雷挺が確認できる。

最初のカピトリーノの丘のユピテル神殿復元イメージ

中央赤い四角がユピテル神殿があった場所

現在ローマ、カピトリーノの丘にはマルクス・アウレリウス帝の彫像が建っている
コイン発行時の歴史背景は、下の「コインで見る、古代ローマ史年表」をクリックしてご覧ください。





コイン解説、写真撮影者:中村めぐみ