古代ケルトコイン ガリア・ベロウァキー族(現フランス都市ボーヴェ語源) 前60-前25年 銅貨 人の顔がついた鶏 古代ケルト芸術

古代ケルトコイン ガリア・ベロウァキー族 銅貨

前60-前25年発行

オモテ:兜を被った女神(ローマのデナリウス銀貨の意匠のコピー)

ウラ:胴体に人の顔が付いた鶏

サイズ:1,78g 15mm


左はローマのデナリウス銀貨のローマ神肖像
オモテ面はローマのデナリウス銀貨の意匠をコピーしたものである。


一方、ウラ面は鶏の胸に人の顔がついたおもしろい意匠である。
鶏と人が滑稽な形で合体した様子はケルト人の独創性が現れている。


<ガリアの象徴、鶏>
現代ではガリアの象徴というと、鶏があげられ、フランスではcoq galois (ガリアの鶏)として名高い。
鶏がガリアの象徴になったのは、ラテン語ガリア(gallia)が鶏(gallus)から派生したという説によるものであるが、古代ローマ時代においては鶏が特別にガリアの象徴であったわけではない。
古代では、鶏は日の出に鳴くことから太陽のシンボルであり、アポロンのシンボルであった。
また闘争心が強いことから軍神アレスの聖鳥でもあった。

フランスでcoq galois (ガリアの鶏)、ガリアの象徴として鶏のシンボルが広く使われるようになったのはフランス革命以降である。
フランス革命に際して、ながらくフランス王のシンボルとして使われてきたアイリス(またはユリ)の紋章に変わって、ガリアのシンボルとしての鶏が好まれて使われるようになったからである。
フランス人は革命を経て、フランス人の起源をクロビス(フランク王国初代王)ではなく、ガリア人であるとすることで新し共和政国家の国民としてのアイデンティティーを形成した。


<ベロウァキー族>
ガリア・ベルガエ、現フランス、オワーズ県に居住していたケルト人。
オワーズ県の県庁所在地、ボーヴェ(Beauvais)の語源はベロウァキー族(Bellovaci)に由来する。

<カエサル『ガリア戦記』のベロウァキー族に関する記述>
・前57年のベルガエ人の戦いの記述の中で、ベロウァキー族はベルガエ人の中で武勇、権威で群を抜いていたと語られている。

・前57年、カエサルはすでに同盟を結んでいたハエドゥイ―族のディウィキアクスにハエドゥイー族の部隊をベロウァキー族の領土に進軍させ、攻撃をしかけることを指示した。

・カエサルは同じベルガエ人のスエッシオネース族を降伏させたのち、ベロウァキー族の領土に軍を進めた。
-ベロウァキー族は身柄と財産を全てブラトゥスパンティウム(現在のどの場所にあたるかは解明できていない)の町に集めていたが、カエサルが軍隊をつれて町から約五哩の地点につくと、老人は皆町を出てカエサルに手を差し伸べ声をあげて、カエサルの保護と勢威に服すること、武器をとってローマに抵抗しないことを態度にあらわし始めた。
カエサルが町についてそこに陣地を置くと、女子供まで自分らの風習に従って防壁から手を差し伸べ、ローマ軍に和を求めた。(カエサル著『ガリア戦記』近山金次訳 2巻ー13)

・ハエドゥイー族はベロウァキー族のためにカエサルに赦しを請うたことで、カエサルはベロウァキー族の降伏を受け入れ、ベロウァキー族から600人の人質を取った。

・前54年、カエサルは、いまだ降伏していないガリア部族に進軍するため、ローマ軍の冬営配置を行い、3個軍団をベロウァキー族の領土に配置し、財務官クラッスス(第1回三頭政治のクラッススの息子)、副官ルキウス・ムナティウス・プランクス、副官ガイウス・トレボニウスの3名を派遣した。

・前52年、ハエドゥイー族の謀反により、ベロウァキー族も再び謀反を起こした。

・前52年のウェルキンゲトリクス率いるアレシアの決戦では、ベロウァキー族は自分たちは自分たちでローマと戦うため、誰からの支持も受けたくないとして兵を出すことを拒んだが、アトレバーテス族のコンミウスに頼まれると、その友情から2000人の兵をアレシアに送った。

・前51年、再びベロウァキー族はコッレウスの指揮の元、兵を集結し、ローマ軍と激戦を交えたがコッレウスが戦死したため、ベロウアキー族は降伏した。
カエサルはガリア人の中で最も敵愾心が強いベロウァキー族が二度と反乱を起こさないように、財務官マルクス・アントニウス(後にクレオパトラと共にオクタウィアヌスに蜂起するアントニウス)を15個軍団と共にベロウァキー族の領内に残した。
古代ケルトコイン ガリア・ベロウァキー族(現フランス都市ボーヴェ語源) 前60-前25年 銅貨 人の顔がついた鶏 古代ケルト芸術