古代ローマコイン 帝政期 セプティミウス・セウェルス アウレウス金貨 206年 ドミティアヌス競技場(現ナヴォーナ広場) 206年のセウェルスとカラカラの誕生祭を記念して発行された金貨

古代ローマコイン 帝政期 セプティミウス・セウェルス アウレウス金貨

206年、ローマ発行

オモテ:SEVERVS PIVS AVG (セウェルス ピウス アウグストゥス)
月桂冠を戴いた右向きのセプティミウス・セウェルス肖像

ウラ:PP (Pater Patria パテル・パトリアエ(国父)) COS III (コンスル 3)
ドミティアヌス競技場 

サイズ:7,06g 20mm

206年、セプティミウス・セウェルスとカラカラの誕生祭が行われた年に発行されたアウレウス金貨。
誕生祭では競技会が開かれたため、コインにもドミティアヌスの競技場が表されたと推測されている。


ドミティアヌスが86年に建造したドミティアヌス競技場が表されたセプティミウス・セウェルスのアウレウス金貨。
ドミティアヌス帝、その父、ウェスパシアヌス帝、兄ティトゥス帝のフラウィウス朝はコロッセオ、ドミティアヌス競技場の建造に始まり、「パンとサーカス」によって市民を統治した時代であった。

ドミティアヌス競技場復元イメージ図 ナヴォーナ広場地下 ドミティアヌス競技場博物館


ドミティアヌス競技場は2階建てで、コロッセオのように建物側面にアーチ状の入口があった。
コインにはアリーナでレスリングをする競技選手までも表されている。

ドミティアヌス競技場は今のナヴォーナ広場の楕円型でその形跡を残している。
現在ナヴォーナ広場の地下はドミティアヌス競技場の博物館となっている。

ローマ、ナヴォーナ広場

ナヴォーナ広場の地下、ドミティアヌス競技場博物館



セプティミウス・セウェルス

セプティミウス・セウェルス彫像 ローマ国立博物館
在位193〜211年

セプティミウス・セウェルスは、ローマ史上初の北アフリカ出身のローマ皇帝。
18歳の時にローマへ出てきて、マルクス・アウレリウスから元老院議員に選ばれたことで出世街道に昇った。
192年の年末にコンモドゥス帝が暗殺され、193年の元旦、ペルティナクスが帝位につくも3ヶ月で暗殺され、ローマは混乱。
その後、親衛隊による(元老院を無視した)ローマ皇帝位の「公開競売」が行われ、資産家であったディディウス・ユリアヌスが皇位を競り落とした。
しかし、この時、他に3人の属州総督が皇帝に名乗り出ていた。
シリア総督のペルケニウス・ニゲル、ブリタニア総督のクロディウス・アルビヌス、そしてパンノニア総督のセプティミウス・セウェルスであった。

193年6月1日、元老院はセプティミウス・セウェルスを皇帝とする動議を可決し、ディディウス・ユリアヌスは処刑された。
194年、セプティミウス・セウェルスはアンティオキアでペスケニウス・ニゲルを倒し東方を平定し、195年、7歳の長男のカラカラに「カエサル」の称号を与え、副帝とした。

197年、同じくカエサルの称号を得ていたクロディウス・アルビヌスをルグドゥヌム(現リヨン)で破り、さらにパルティア遠征で首都クテシフォンを陥落させ、パルティアを属州とした。

198年、セウェルスは長男カラカラに「アウグストゥス」の称号を与え共治帝とした。
202年、セウェルスはローマに帰還すると、セウェルスは14歳のカラカラを親衛隊長プラウティアヌスの娘プラウティアと結婚させた。
205年、プラウティアヌスはセウェルスとカラカラの暗殺を計画したとして処刑され、プラウティアはリパリ島に流された。
208年、セウェルスは長男カラカラと次男ゲタを連れブリタニア遠征に出発。
209年にようやく、カラカラと1つ違いのゲタにも「アウグストゥス」の称号が与えられた。
211年、セプティミウス・セウェルスはブリタニア遠征中に死去した。




古代ローマコイン 帝政期 セプティミウス・セウェルス アウレウス金貨 206年 ドミティアヌス競技場(現ナヴォーナ広場) 206年のセウェルスとカラカラの誕生祭を記念して発行された金貨