古代ローマコイン 帝政期 アウグストゥス デナリウス銀貨 前19-18年 前44年にローマの空に現れた彗星(ユリウス・カエサル星)のコイン
古代ローマコイン 帝政期 アウグストゥス デナリウス銀貨 前19-18年 前44年にローマの空に現れた彗星(ユリウス・カエサル星)のコイン
作品詳細
古代ローマコイン 帝政期 アウグストゥス デナリウス銀貨
前19-18年、カエサラウグスタ (現スペイン・サラゴザ) 発行
カエサラウグスタ(caesaraugusta)は、現スペインのサラゴザにアウグストゥスが創設したローマの植民市であった。
植民市の名、「カエサラウグスタ」はカエサル・アウグストゥスという、アウグストゥス自身の名から命名された。
オモテ:CAESAR AVGVSTVS (カエサル・アウグストゥス) どんぐりのついたオークの木の葉の冠(市民冠)を戴いた左向きのアウグストゥスの肖像
ウラ:DIVVS IVLIVS (神であるユリウス) 8本の光線(その内の一本は炎が出ている)の彗星 (ユリウス・カエサルを表している)
サイズ:3,69g 20mm
前19-18年にカエサラウグスタで発行された、アウグストゥス帝のデナリウス銀貨である。
ウラ面に表された彗星は、sidus Iulium(ユリウス・カエサル星)と呼ばれることもあり、神となったユリウス・カエサルがシンボル化されたものである。
彗星と共に、DIVVS IVLIVS(神であるユリウス)の銘も刻まれている。
なぜこの彗星がユリウス・カエサル自身を表すのか、その由来は前44年、カエサルが暗殺された年の出来事に遡る。
カエサル暗殺日、前44年3月15日から約4カ月後の前44年7月20日〜28日、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)は、カエサルを称える競技会をローマで開催した。
競技会は、スポーツ競技や演劇などが行われた、古代ギリシャ・ローマ社会において欠かせない祭典であった。最も代表的な古代の競技会はご存知、オリンピック競技会である。
古代ローマでは多くの神々の祝祭日(ludi)に競技会が行われ、為政者と市民が固く結ばれていた。
前44年7月、オクタウィアヌスのカエサルを称える競技会の期間、ローマの空には彗星が現れたのである。
プリニウスによれば、オクタウィアヌスは自伝の中で、この競技会の出来事を以下のように述べたという。
「私が主催する競技会の当日から、北の方角に7日続けて彗星が見えた・・・・・世間の人々はこれを、カエサルの魂が不死の神々に迎えられたことを意味すると信じたため、すぐ後にフォルムに建てられたカエサルの胸像には星の印がつけられた」(『アウグストゥス ローマ帝国のはじまり』アントニー・エヴァリット著 伊藤茂訳)
同時期に天体現象について、中国の天文学者の記録に残されており、この彗星の話は後の作り話しでないことがわかっている。
鋭い判断力の持ち主であったオクタウィアヌスは、この彗星をカエサルが神となって表れた証とし、カエサルの神格化を正当化する材料としたのである。
このオクタウィアヌスの競技会が開催された2週間程前には、ローマで毎年恒例のアポロン祭が開かれていた。
アポロン祭の運営はカエサルを暗殺したブルータスが取り仕切る手筈であったが、アントニウスの力によって、その弟ガイウス・アントニウスがアポロン祭を取り仕切った。
カエサルの死後、カエサルの後継者という立場を取った、アントニウス、オクタウィアヌスらカエサル派は、アポロン祭の開催月、7月(これまでクィンティリウス:5番目の月と呼んでいた)を、カエサルの名をとって、ユリウス月と呼んだのであった。ローマを離れていたブルータスが、ユリウス月という新しい呼び名にいたく動揺していたことが、キケロの書簡に記されている。
これまでローマでは月の名は、神の名か、単純に数字で呼ばれていた。これは、カエサル派のカエサル神格化の行為の1つであった。
ユリウス月は英語のJulyなどで、現代にも引き継がれている。
オクタウィアヌスは、アポロン祭開催の7月をユリウス月と呼び、さらにこの月の最後にカエサルを称える競技会を開催し、カエサルの死後、カエサルの権威を笠に着たのであった。
その競技会の期間に空に彗星が現れたのだから、オクタウィアヌスは何という幸運の持ち主であったのか。
もしかすると、オクタウィアヌスは、天文学者の力を借りて、この期間に彗星が現れることを知っていたのかもしれないと想像を働かせてしまう。
前19-18年、カエサラウグスタ (現スペイン・サラゴザ) 発行
カエサラウグスタ(caesaraugusta)は、現スペインのサラゴザにアウグストゥスが創設したローマの植民市であった。
植民市の名、「カエサラウグスタ」はカエサル・アウグストゥスという、アウグストゥス自身の名から命名された。
オモテ:CAESAR AVGVSTVS (カエサル・アウグストゥス) どんぐりのついたオークの木の葉の冠(市民冠)を戴いた左向きのアウグストゥスの肖像
ウラ:DIVVS IVLIVS (神であるユリウス) 8本の光線(その内の一本は炎が出ている)の彗星 (ユリウス・カエサルを表している)
サイズ:3,69g 20mm
前19-18年にカエサラウグスタで発行された、アウグストゥス帝のデナリウス銀貨である。
ウラ面に表された彗星は、sidus Iulium(ユリウス・カエサル星)と呼ばれることもあり、神となったユリウス・カエサルがシンボル化されたものである。
彗星と共に、DIVVS IVLIVS(神であるユリウス)の銘も刻まれている。
なぜこの彗星がユリウス・カエサル自身を表すのか、その由来は前44年、カエサルが暗殺された年の出来事に遡る。
カエサル暗殺日、前44年3月15日から約4カ月後の前44年7月20日〜28日、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)は、カエサルを称える競技会をローマで開催した。
競技会は、スポーツ競技や演劇などが行われた、古代ギリシャ・ローマ社会において欠かせない祭典であった。最も代表的な古代の競技会はご存知、オリンピック競技会である。
古代ローマでは多くの神々の祝祭日(ludi)に競技会が行われ、為政者と市民が固く結ばれていた。
前44年7月、オクタウィアヌスのカエサルを称える競技会の期間、ローマの空には彗星が現れたのである。
プリニウスによれば、オクタウィアヌスは自伝の中で、この競技会の出来事を以下のように述べたという。
「私が主催する競技会の当日から、北の方角に7日続けて彗星が見えた・・・・・世間の人々はこれを、カエサルの魂が不死の神々に迎えられたことを意味すると信じたため、すぐ後にフォルムに建てられたカエサルの胸像には星の印がつけられた」(『アウグストゥス ローマ帝国のはじまり』アントニー・エヴァリット著 伊藤茂訳)
同時期に天体現象について、中国の天文学者の記録に残されており、この彗星の話は後の作り話しでないことがわかっている。
鋭い判断力の持ち主であったオクタウィアヌスは、この彗星をカエサルが神となって表れた証とし、カエサルの神格化を正当化する材料としたのである。
このオクタウィアヌスの競技会が開催された2週間程前には、ローマで毎年恒例のアポロン祭が開かれていた。
アポロン祭の運営はカエサルを暗殺したブルータスが取り仕切る手筈であったが、アントニウスの力によって、その弟ガイウス・アントニウスがアポロン祭を取り仕切った。
カエサルの死後、カエサルの後継者という立場を取った、アントニウス、オクタウィアヌスらカエサル派は、アポロン祭の開催月、7月(これまでクィンティリウス:5番目の月と呼んでいた)を、カエサルの名をとって、ユリウス月と呼んだのであった。ローマを離れていたブルータスが、ユリウス月という新しい呼び名にいたく動揺していたことが、キケロの書簡に記されている。
これまでローマでは月の名は、神の名か、単純に数字で呼ばれていた。これは、カエサル派のカエサル神格化の行為の1つであった。
ユリウス月は英語のJulyなどで、現代にも引き継がれている。
オクタウィアヌスは、アポロン祭開催の7月をユリウス月と呼び、さらにこの月の最後にカエサルを称える競技会を開催し、カエサルの死後、カエサルの権威を笠に着たのであった。
その競技会の期間に空に彗星が現れたのだから、オクタウィアヌスは何という幸運の持ち主であったのか。
もしかすると、オクタウィアヌスは、天文学者の力を借りて、この期間に彗星が現れることを知っていたのかもしれないと想像を働かせてしまう。