古代シチリア島


古代シチリア島の栄華


イタリアの国土はよくサッカーボールをける人の足にたとえられる。
そのサッカーボールにあたるのがシチリア島。

シチリア島はその地理的好条件から常に歴史の舞台となってきた。
シチリア島は地中海の中央に位置し、三つの水域に面している。北側はイタリア半島へのティレニア海、東側はギリシャへのイオニア海、西側はすぐにアフリカ大陸である。
それゆえこの島は地中海文化が交わり、発展、また対立した場所であった。

シチリア島のシンボル「トリスケル」、3本の足を持つメドゥーサが刻まれた前49年発行の古代ローマコイン。
3本の足はシチリア島の三つの岬を表している。



シチリア島は旧世紀時代から人が住んでいた痕跡が考古学によって判明している。
前8世紀中葉になるとギリシャ人の入植が盛んとなり、シチリア島の各地にギリシャ人の都市が建設されていった。
トゥキディデス(前5世紀のギリシャの歴史家)によれば、シチリア島はギリシャ人の入植頃、シカン人(シチリア島に最も古くからいる民族)、シクル人(イタリアにいたオスク人が移住してきた民族)、エリミ人(シチリア島の西端、セジェスタとエーリチェに居住していた民族でルーツは謎に包まれている)、フェニキア人の4つの人種的グループがあったという。

シチリア島は農作物、畜産物が潤沢であったため、さまざまな交易がこの地を経由して行われた。
ギリシャ人は陶器をはじめとした工業製品、エトルスク人は鉄や青銅の製品、カルタゴ人は紫金や高価な生地、東洋の香料、彩色ガラス、スペインの銅と羊毛などをもたらした。

前7世紀のコインの出現はこのような地中海交易をより円滑にし、シチリア島でも前6世紀にはコインの発行が各地で幕開けした。


<古代シチリア島のコイン>
シチリア島での貨幣発行は前6世紀に始まり、ナクソス、ザンクレ(メッセネ)、ヒメラ、セリヌス、アクラガスで広がっていった。
前5世紀シラクサが強国となると、シラクサを中心としてシチリアはギリシャ世界のコイン芸術の中でまばゆい輝きを放つようになっていった。
前4世紀の間、カルタゴはシチリア島でのギリシャ人との領土争いをめぐる戦争により、大量の貨幣をシチリア島で発行した。この一連の貨幣はシチリアとカルタゴの両名を取ってSiculo-Punic(シクロ・ピュニック)コインと呼ばれている。
この時期カルタゴとの戦争に伴い、シチリア島の各都市でも様々な貨幣が発行された。
中でもシラクサの僭主アガトクレスが発行したコインの意匠、彫りの美しさは郡を抜いており、現在コレクターの憧れのコインとなっている。
前3世紀半ばになると、ローマの台頭によって、シチリア島のコイン芸術は陰りをみせるようになっていった。
前201年、ポエニ戦争の終結後、シチリアがローマの属州となってからは銅貨の発行が中心に行われ、それは前2世紀まで続いた。




<シラクサ>
シチリア島南東沿岸の都市国家。地中海世界で最も繁栄した都市の一つ。
前734年または前733年にコリントスの植民市として建設された。
前485年、ゲラの僭主ゲロンがシラクサの僭主となり、シラクサは黄金時代を迎えた。
前480年、カルタゴがシチリアに侵入した際はアクラガスの僭主テロンと同盟を結びヒメラで撃退、ギリシアに勝利をもたらした。
このカルタゴに対する勝利の際に、シラクサの僭主ゲロンの妻(アクラガスの僭主テロンの娘)デマレーテは、夫ゲロンにカルタゴ人に対して寛大な処遇をするように頼んだとされている。
これに感謝したカルタゴはデマレーテに黄金の冠を送ったとされる。
この黄金の冠が元手となり、シラクサの美しい銀貨が発行されたという言い伝えもある。

シラクサ、テトラドラクマ銀貨
上写真のテトラドラクマ銀貨はシラクサで前485-478年頃に発行された。
オモテ面は古代オリンピックの2頭立て戦車レースの意匠。
僭主ゲロンは前488年のオリンピックの戦車レースで優勝したことを記念して、貨幣の意匠にはオリンピックの戦車レースが表されている。
馬の上には勝利の女神ニケがおり、ゲロンのオリンピックでの優勝を祝福している。

ウラ面はアレトゥ―サとイルカの意匠。この意匠はシラクサのニンフ、アレトゥーサの泉伝説に由来する。
アレトゥ―サはアルテミスに使えていたニンフ。
ある日、アレトゥーサが水浴びをしていると河の神アルペイオスはアレトゥーサの美しさに驚き、見初めてしまい、我が物にしようとした。
しかしアレトゥ―サはこれを拒み、逃げまどいアルテミスに助けを求めた。
アルテミスはアレトゥーサの願いを聞き入れ、アレトゥ―サをたちまち水に変えた。アレトゥ―サは地下水となり、シラクサのオルティ―ジャ島の泉となったのであった。その泉はアレトゥーサの泉と呼ばれシラクサのオルティ―ジャ島に現存している。

シラクサ、オルティ―ジャ島のアレトゥーサの泉(店主撮影) 泉の中央には涼しげなパピルスが茂り、その周りには沢山の魚が滞留していた。(右写真)この魚たちを見ていたら、上写真のコイン、アレトゥーサの肖像の周りを泳ぐイルカの意匠がすぐに思い出された。

シラクサ、オルティ―ジャ島のドゥオモ(店主撮影) 前5世紀のアテナ神殿が7世紀に教会となり、現在もオルティ―ジャの広場にそびえ立っている。前5世紀のドーリス式のアテナ神殿の柱と基礎がが教会外観にも残されている。(右写真)

シラクサ、オルティ―ジャ島のドゥオモの内部(店主撮影) 前5世紀のアテナ神殿のドーリス式柱に圧倒される



シラクサ テトラドラクマ銀貨
シラクサの僭主アガトクレスが発行したテトラドラクマ銀貨。
カルタゴとの攻防戦の期間、前310-305年頃に発行された。
アガトクレスはカルタゴの侵入を抑え、カルタゴをシチリアの西部地域に退却させた。
オモテ面は麦穂の冠をつけたペルセポネの意匠。
ウラ面は戦勝記念柱を建てるニケ。ニケは腰巻きだけを身につけ、翼を広げた美しい姿で表されている。ニケの翼を沿うようにアガトクレスの名が刻まれている。この意匠はアガトクレスのカルタゴに対する勝利を表している。

前3世紀、ヒエロン2世の時代に着工されたシラクサのギリシャ劇場(店主撮影) シチリア島で最も大きいギリシャ劇場。シラクサが当時文化的頂点であったことを象徴している。
シラクサのギリシャ劇場、上方客席からは海が見渡せる。(左写真)
シラクサの劇場、舞台側から撮影。(右写真)


シラクサは前212年、第二次ポエニ戦争時、ローマに陥落。
この時シラクサの科学者アルキメデスが反射鏡や起重機を考案し、ローマ軍を苦しめ、シラクサはローマ軍の攻撃に3年間も持ちこたえたとされる。


<アクラガス>
シチリア島南西部の古代ギリシャ植民市。現在のアグリジェント。
ギリシャ抒情詩人ピンダロスはアクラガスを世界で最も美しいと称賛した。
前580年頃ゲラの市民によって建設され、前6-5世紀僭主ファラリスやテロンのもとに繁栄した。
現存する世界遺産のアクロポリス上のアルカイック期神殿群の遺跡は圧倒的な美しさ。哲学者エンペドクレスはアクラガスの出身。

アグリジェントのコンコルディア神殿(店主撮影) 神殿付近から発見された石碑からコンコルディア(和合の女神)の神殿と呼ばれるが、前450-440年頃にディオスクロイに奉献された神殿と推定されている。
この神殿は6世紀に聖ペテロ・パウロ教会として転用されたことから非常に保存状態が良く、前面、側面の柱がほぼ完全な状態で残されている。

アクラガス ヘミリトロン銅貨
上写真の銅貨は前425-406年にアクラガスで発行された。
オモテ面には魚を捕える鷲、
ウラ面にはカニ、タコ、貝が刻まれている。シチリアの魚介の豊富さを意匠に表したかのよう。
アクラガスではカニがシンボルのようにコインの意匠に多用された。

左写真:アクラガスの考古学公園のロゴ(店主撮影) 考古学公園のロゴにもカニが使われている。
右写真:アグリジェント考古学博物館所蔵のテトラドラクマ銀貨(店主撮影) アクラガスで前450-425年発行に発行されたカニが刻まれたテトラドラクマ銀貨

アクラガス デカドラクマ銀貨(店主撮影) 大英博物館所蔵品 4頭立て馬車を操るヘリオス

アクラガスはローマ時代にはアグリゲントゥムと称し、ポエニ戦争で打撃を受けたが、その後また復興し、現在までもこの地はアグリジェントとしてシチリア島の主要都市であり続けている。
ローマ時代の遺跡も残されている。

アクラガスの古代ローマ遺跡エリア(店主撮影) ローマ時代の住居のモザイク


<セリヌス>
シチリア島南西岸に前627年にメガラ・ヒブレアによって建設された古代ギリシャ都市。現在のセリヌンテ。
初期の僭主たちは親カルタゴ政策を取り、前480年カルタゴと同盟。
しかしセジェスタとの長年の対立はアテネの介入を許し、前409年にはカルタゴのハンニバルに略奪された。
一時再建されたが、前250年には再びカルタゴに破壊され荒廃した。
ドーリス式神殿跡が現存する。

セリヌスはシチリアで最も早い時期にコインの発行を始めた都市の一つである。
セリヌスで最初に発行された前6世紀半ばの銀貨には、珍しいことに銀貨の額面いっぱいにセロリの葉が刻まれている。
都市セリヌスの名の由来はセロリにあり、セロリがシンボルとしてコインの意匠に使われた。
セロリはギリシャ語でセリノンと呼ばれ、古代ギリシャでは香料や薬として重宝された植物であった。
この地には川岸にセロリが自生していたためにセリノスと呼ばれる川(現在のモディオーネ川)があり、都市の名セリヌスはこれに由来すると考えられている。

セリヌス スタテル銀貨
上写真の銀貨は前520-前490年にセリヌスで発行された。
オモテ面にはセロリの葉が刻まれている。
ウラ面は四角い打ち込み。

左写真:植物に覆われたセリヌンテ遺跡(店主撮影) 中央写真:セリヌスのセロリのスタテル銀貨 右写真:セロリの葉
セロリの葉を開いて観察してみるとコインのように葉が3つに分かれているのがわかる。

セリヌンテのヘラ神殿(店主撮影)前480年頃にヘラに奉献された神殿 隣にはアテナに捧げられた神殿があったが現在は完全に崩落。ヘラ神殿から臨む地中海は格別に美しい。

左写真:セリヌンテのアクロポリス跡(店主撮影) 街の後には現在は樹木が茂る
右写真:セリヌンテのアポロン神殿跡(店主撮影) 前540-510年頃に建造された。写真の列柱は1920年代に再建されたもの。下写真の古代シチリア彫刻芸術の最高峰とされるメトープは雑然とした瓦礫の神殿跡から発見された。

セリヌンテのアポロン神殿のメトープ(店主撮影) パレルモ、シチリア州立考古学博物館 
左は4頭立て馬車に乗るアポロン。中央はアテナの前でメドゥーサの首を斬るペルセウス。メドゥーサの足元にはペガサス、ペガサスはこの時メドゥーサの傷口から誕生した。 右はケルコペス(小人の盗賊)を運ぶヘラクレス

神殿屋根装飾のテラコッタ(店主撮影) パレルモ、シチリア州立考古学博物館

セリヌス 鋳造銅貨 
上写真の銅貨はセリヌスで前435-415年に発行された。
正面のお多福のような顔はシレノスとされている。


<セジェスタ>
シチリア島北西部のエリミ人の古代都市。前5世紀にはギリシア化した。
セリヌンテと対立し、アテネ、カルタゴと同盟し、前409年カルタゴの支配に入る。
第1次ポエニ戦争後ローマに服属したが、シチリアの奴隷反乱(前103-100年)で衰退に向い、1世紀に滅亡。

セジェスタの神殿(店主撮影) 前424-416年頃にアテネ人によって建造されたと推定されているドーリア式神殿。 角の支柱の傾斜や線の湾曲などアテネのパルテノン神殿に見られる繊細な技法で建てられた。しかしセラ(内陣)がないこと、柱にラブドーシス(溝)がないことから謎の神殿とされている。
セジェスタの土着のエリミ人との争いを防ぐために宗教性を持たせなかったのか、ただ未完成なのかなど、謎に包まれている。

セジェスタ ディドラクマ銀貨
上写真の銀貨はセジェスタで前412-400年頃に発行された。
オモテ面にはニンフ、ウラ面にはイヌが刻まれている。
オモテ面のニンフの肖像の下にはEΓEΣTAIΩN(セジェスタの)の文字

バルバロ山頂に残るセジェスタのギリシャ劇場(店主撮影) 前3世紀に建設され、前2世紀にローマ人によって手が加えられた劇場。 



エリミ人はシチリア島西端の最古の住人。
トゥキディデスによればエリミ人はトロイからの亡命者であるとされていたが真実はわかっていない。
エリミ人はイヌを崇拝しており、エミリ人の都市セジェスタ、エリュクスではイヌがコインの意匠に使われた。

シチリア島にはチルネコ・デル・エトナと呼ばれる有名な猟犬がいる。
古代エジプトのチズムという犬種が祖先で、フェニキア人がシチリア島に持ち込んだと推測されている。セジェスタ、エリュクスのコインに刻まれたイヌはチルネコ・デル・エトナに類似している。

たまたまセジェスタの遺跡で気持ちよさそうに寝転ぶチルネコ・デル・エトナに出会った(店主撮影)

エミリ人のイヌが刻まれたコインの額装品。



セジェスタ ディドラクマ銀貨 前412-400年頃発行

セジェスタ ディドラクマ銀貨 前480-前410年頃発行

エリュクス オンキア銅貨 前400-390年頃発行
エリュクスはシチリア島西部ドレパナ北方にあったエリミ人の都市。現在のエーリチェにあたる。
前5世紀はセジェスタに隷属し、のちカルタゴに占領され、住民はドレパナに移されたが、前241年ローマの支配下に入った。


<メッセネ>
イタリア・シチリア島の北東端の港湾都市。
その立地から海上交通の要で、前8世紀にエウボイア島のカルキス人により建設された。
もともとの都市の名はザンクレで、これは湾の形が大鎌(ザンクレ)に似ていたこと、または伝説の初代王ザンクロスの名に由来する。
前5世紀初頭、レギウム(イタリア半島先端)の僭主アナクシラスは都市を支配し、都市名をアナクシラスの出身地ギリシャ本土の都市メッセニアに因んでメッセネに変更した。
メッセネは前397年カルタゴに略奪されたが、シラクサのディオニソス1世によって奪回された。
前288年、シラクサの僭主アガトクレスが死去すると、彼の傭兵集団マメルティ二はメッセネを占拠。
前264年、マメルティ二はローマに同盟を求めたため、ローマが初めてシチリアに介入した。
これにより、カルタゴとローマの間でポエニ戦争が勃発した。

メッセネ テトラドラクマ銀貨
上写真の銀貨は前480-461年頃にメッセネで発行された。
オモテ面は古代オリンピックのラバのカートレース競技の意匠。
ウラ面には野ウサギとMESSENION(メッセネの)の文字が刻まれている。
メッセネの僭主アナクシラスは前484年または前480年の古代オリンピックでラバのカートレースで優勝し、それを記念した意匠をコインに刻んだ。
馬の下にはオリーブの葉。オリーブは勝利のシンボル。古代ギリシャでは試合の勝者に手渡された。
ウラ面の野ウサギ。都市メッセネはウサギをコインの意匠に多用した。


<ヒメラ>
シチリア島北岸の古代ギリシャ植民市。前649年頃ザンクレ(メッセネ)により建設された。
前5世紀初め僭主テリロスの支配下にあったが、アクラガスの僭主テロンはテリロスを放逐し、ヒメラを領有した。
前461年アクラガスから独立したが、前409年カルタゴのハンニバルの報復行為によって破壊された。
翌年カルタゴはヒメラの西方にテルマエを建設し、ヒメラからの避難者がここに定住した。

ヒメラ テトラドラクマ銀貨
上写真の銀貨は前409-407年頃、ヒメラで発行された。
オモテ面は4頭立て戦車、ニケ、海馬が刻まれている。
ウラ面は祭壇に献酒するニンフ、その右下にはサテュロスが刻まれている。

<ジェラ>
シチリア島南岸の古代ギリシャ都市。前690年頃クレタ島とロドス島の植民者たちによって建設された。
前5世紀初め、独裁者ヒポクラテスのもとで繁栄し、彼の死後後継者ゲロンはシラクサに進出した。
しかし前405年カルタゴによって町は略奪され、その後再建されたが、前282年再び破壊された。

ジェラ リトラ銀貨
上写真の銀貨は前430-425年にジェラで発行された。
オモテ面に人面牛(ジェラに流れるジェラ川の神と考えられている)とCEΛAΣ(ジェラ)の文字。
ウラ面は槍と盾を持った左向き馬に乗る騎士


<カマリナ>
シチリア島南岸の都市。前599年頃シラクサによって建設された。シラクサとゲラとに交互に統治され、前405年にはカルタゴに貢納したが、その後前339年にはコリントスによって治められ、第1次ポエニ戦争中、前258年にローマによって滅ぼされた。

カマリナ トリアス銅貨
上写真の銅貨はカマリナで前413-405年に発行された。
オモテ面にはアテナ神、ウラ面にはフクロウとトカゲ、KAMA(カマリナ)の文字が刻まれている。
このコイン意匠の両面の組み合わせは、古代ギリシャで最も有名な貨幣、アテネのフクロウのコインと同じである。
カマリナがこのデザインを使ったのは、ペロポネソス戦争中、アテネと同盟したことに関係するのかもしれない。

<レオンティノイ>
シチリア島南東の都市。前729年頃ナクソスが建設。前494年頃ヒポクラテスに征服されて以来主にシラクサの支配下にあり、シラクサとの抗争が続いた。

レオンティノイ ヘミオボル銀貨
上写真の銀貨は前475-466年頃にレオンティノイで発行された。
オモテ面には正面から見たライオンの頭、ウラ面には穀物の粒とΛEON(レオン)の文字が刻まれている。
レオンティノイのレオンはギリシャ語でライオン、それゆえ、レオンティノイのコインにはライオンが刻まれた。



<エピローグ:ローマによる支配>
カルタゴの脅威と常に戦ってきたシチリアであったが、結局、ローマの台頭によってその独立は奪われた。
前264年、カルタゴとローマの間でシチリアの領土をめぐってポエニ戦争が勃発。
前201年のザマの戦いでハンニバル率いるカルタゴ軍はスキピオ率いるローマ軍に敗れ、
シチリアはローマ属州の時代を迎えた。
シチリアは、その後6世紀にわたってローマの支配に置かれた。

ローマのスキピオとカルタゴのハンニバルがコインの肖像で対面。

右写真はのスキピオの肖像?とされる古代ローマ、デナリウス銀貨(前112-111年発行)
左写真はカルタゴの肖像?とされるカルタゴの半シェケル銀貨(前218-206年発行)


ポエニ戦争によって、地中海世界で最も美しく豊かであった都市シラクサはローマ軍によって略奪されつくした。
リウィウス(アウグストゥスの時代のローマの歴史家)によれば、シラクサではカルタゴで行われたのと同等の凄まじい略奪が行われたという。
シチリアの芸術作品は大量にローマに運ばれ、ローマ人がギリシャ芸術に親しむ機会となった。
シチリアの芸術はローマ人の芸術の手本となり生き続けたのである。

そして古代シチリアの栄華の痕跡、古代シチリアのコイン芸術は、今もそのコインを手にした者の手のひらの上で輝き続けている。

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