古代ローマコイン 帝政期 アウグストゥス デナリウス銀貨 前15-13年 アクティウムの海戦の勝利を記念したアクティウムのアポロン

古代ローマコイン 帝政期 アウグストゥス デナリウス銀貨

前15-13年、ルグドゥヌム発行

オモテ:AVGVSTVS DIVI F(Augvstvs Divi Filivs アウグストゥス、神(ユリウス・カエサル)の息子) 右向きのアウグストゥス

ウラ:IMP X ACT (Imperator decimvm Activm 10回目のインペラトル アクティウム) アポロ・アクティアクス(アクティウムのアポロン)の立像 右手にはプレクトラム(ばち)、左手にはキタラ(竪琴)を持っている

サイズ:3,57g 18mm

アウグストゥスの肖像が美しいデナリウス銀貨。ウラ面のアクティウムのアポロンの意匠はアントニウスとクレオパトラに勝利したアクティウムの海戦(前31年9月2日)を記念している。
アクティウムの海戦から20年近く過ぎてからも、貨幣に海戦の勝利を意味する意匠が刻まれたことは、アウグストゥスがエジプトの支配を如何に誇っていたかがわかる。

アクティウム位置


<アクティウムのアポロン、アポロ・アクティアクス>

アクティウムの海戦が行われたアクティウム(ギリシャ北西部アルタ湾(現在のAmvrakikos湾)口の岬)にはアポロンの聖域があり、アポロン神殿にはアポロン像が祀られていた。
このコインに刻まれたアポロン・アクティアクスは演奏家の衣装に身を包み、左手に大きなキタラ、右手にはプレクトラムを持っている。
キタラは古代ギリシャの竪琴でバチを使って演奏した。
アポロンは音楽を司る神であったため、竪琴を携えた姿で表された。

キタラを持ったアポロンの座像 2世紀頃 ナポリ考古学博物館

前30年にイタリアに帰還したオクタウィアヌスはローマ・パラティヌスの丘に自らの権威を象徴する建物を建てることに着手した。
その1つがアポロン神殿で、前28年に神殿が完成している。
神殿にはギリシャ、アッティカ地方のラムヌスから運ばれたスコパス(前4世紀のパロス島出身の著名な彫刻家)のアポロン像が祀られていたという。
このコインに刻まれたアポロンはパラティヌスの丘のアポロン神殿に祀られていたスコパスのアポロンをモデルにしているという考えもある。

スコパスのアポロン像の模作と言われている彫刻 ローマ・カピトリーニ美術館

また、オクタウィアヌス(アウグストゥス)はアクティウムでアポロンに捧げる競技会を開いたという。競技会ではレスリング、戦車競走、音楽の祭典などが行われた。
オクタウィアヌスはその後、前28年頃、アクティウムの海戦の勝利を記念して、アクティウムの湾を挟んで反対側にニコポリス・アクティアという名の都市を建設した。アポロンの競技会もこのニコポリス・アクティアの地に移された。

さらにカシウス・ディオ(2世紀の歴史家)は、オクタウィアヌスは母アティアが神殿で寝ている間に蛇(アポロンの化身)と交わって生まれた子である、つまりアポロンの子であると言う神話めいた記述を残している。


<アウグストゥス>

アウグストゥスの彫刻
前63年誕生、後14年死没。
ローマ帝国初代の皇帝(在位前27-後14年)。
本名ガイウス・オクタウィウス。父ガイウス・オクタウィウスは同家で初めて元老院議員になった人物で、母アティアはユリウス・カエサルの妹ユリアの妹。
カエサルは息子がなかったので、オクタウィウスを最も将来性ある若者と見込み、遺言で相続人にしたうえ、養子にした。
カエサルが暗殺された前44年、オクタウィウスはイリュリクムのアポロニアで勉学中であったが、自分がカエサルの相続人兼養子に指名されていることを知り、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと改名。
カエサルの養子という立場を利用して兵を集め、元老院も彼の地位を法的に承認した。
前43年オクタウィアヌスはマルクス・アントニウスとレピドゥスとボノニア(現ボローニャ)で会合して最高権力を共有することに合意。
前43年オクタウィアヌスはアントニウスとレピドゥスと三頭政治を成立させた。
前42年アントニウスとともにマケドニアのフィリッピでブルートゥスとカッシウスを破った。
前40年オクタウィアヌスとアントニウスは会見して協定を結び、アントニウスは東方属州、オクタウィアヌスは西方属州を統治することとなった。
しかし、前36年レピドゥス失脚後は三頭政治は事実上崩壊し、オクタウィアヌスとアントニウスとの対立は不可避となり、
前31年オクタウィアヌスはエジプト女王クレオパトラ7世と組んだアントニウスをアクティウムの海戦で破り、
前30年2人をアレクサンドリアで自殺に追込み、エジプトを併合、地中海世界を平定した。
前27年大権を元老院と国民に返還したが、元老院は彼にアウグストゥス(尊厳な者)という尊号を送り、ヒスパニア、ガリア、シリア、エジプトの統治を10年間委任した。
前23年執政官(コンスル)を辞任したのちも執政官代行として自分の属州を保持、前19年には終身の執政官命令権を与えられた。しかし命令権よりも前23年に与えられた護民官(トリブヌス・プレブス)職権を強調し、道徳的権威によって統治する道を選び、第1の市民プリンケプスであることを望んだ。
また前12年には大神官、前2年には国父と呼ばれた。
内政面では属州を元老院に分割して統治し、税制の改正、公共建造物の造営、神殿の再建、儀式、祭司団の復興をはかった。
また結婚の神聖を回復し、多子家族には公職優先就任権をを与え、奴隷解放を制限して、社会秩序を維持した。
さらに文芸活動を奨励しラテン文学の黄金時代を現出させた。(ブリタニカ国際大百科事典より)
古代ローマコイン 帝政期 アウグストゥス デナリウス銀貨 前15-13年 アクティウムの海戦の勝利を記念したアクティウムのアポロン