古代ローマコイン ユリウス・カエサル ジュリアス・シーザー デナリウス銀貨 前48年 クレメンティア神とガリアの戦争記念柱

古代ローマコイン ユリウス・カエサル デナリウス銀貨

前48年ギリシャ発行

オモテ:LII(52を表す、Lはローマ数字で50を表す) 右向きのオークのリースをつけたクレメンティア神(寛容の女神)

ウラ:CAESAR  ガリア戦争での勝利を示す戦争記念柱(鎧、盾、兜、carnyx ガリアのたて笛、斧)

サイズ:3,90g 16mm

古代ローマ、ユリウス・カエサルのデナリウス銀貨。
前48年のファルサルスの戦い(前48年6月6日、ギリシアの北に接するテッサリアの町ファルサルスで行われたポンペイウスとの戦い)の直後にギリシャで発行されたと推定されている。
オモテ面のクレメンティア神の肖像の後ろにはLIIが刻まれている。Lはローマ数字で50であることからLIIは52という数字を表していると推測されている。
前48年はカエサル年齢が52歳(カエサルの誕生日は7月13日)であったため、この数字はカエサルの年齢ではないかと推測されている。カエサルの誕生日を祝った意図があったのかもしれない。

ユリウス・カエサルの彫刻
<ユリウス・カエサル>
古代ローマの最も偉大な将軍、政治家。英語名はジュリアス・シーザー。民衆派(ポプラレス)に属し、青少年時スッラの全盛時代であったため各地を転々とし、前78年スッラの死を聞いてローマに帰り、前77年以後政界に入った。ロードスで修辞学を学び、前68年財務官(クアエストル)、前65年按察官(アエディリス)を経て、前63年大神官(ポンティフェクス・マキシムス)に当選。その選挙費用のためローマ最大の債務者となった。
前61年ヒスパニア総督、翌年ローマに帰ってポンペイウス、クラッススと第一次三頭政治を形成。
前59年執政官(コンスル)となり、市民への土地配分など政治的手腕を発揮した。
前58年からガリア遠征に向かい、ガリア・トランサルピナの諸部族を平定。
前52年ウェルキンゲトリクスの大反乱をも鎮圧、ローマのガリア支配を確立するとともに、今後の活動に必要な軍隊と豊富な資金を取得した。
前54年彼の娘でポンペイウスの妻ユリアが死に、前53年クラッススがパルティア帝国と戦って敗死すると、三頭政治に代わってカエサルとポンペイウスの対立となった。
前49年閥族派(オプティマテス)がポンペイウスと組んでカエサル召還を元老院で決議したため、彼はルビコン川を渡ってローマに進撃。ポンペイウスはギリシャに逃れ、カエサルはまずヒズパニアを討ち、前48年ギリシャに渡りファルサルスの戦いでポンペイウスを破った。
エジプトに逃れたポンペイウスを追ったカエサルはプトレマイオス朝の内紛に介入してクレオパトラ7世と結ばれ、彼女を女王とした。
前47-45年にはポントス、アフリカ、ヒスパニアに転戦、ポンペイウス派の残党を撃滅してローマに帰還し、盛大な凱旋式を行った。
前46年にはすでに共和政の伝統に反して10年任期の独裁官(ディクタトル)、前44年には終身の独裁官となり監察官(ケンソル)職を取得して元老院に腹心の者を無制限に入れ、その数900人に及んだ。
反対者には仁慈をもって接し、独裁者として多岐にわたる立法活動を行い、救貧事業、植民市建設、暦法改革などを実施。
属州総督の任期の限定、弊害の多かったアシア州とおそらくその他の州の徴税請負制度の廃止、税額の軽減を行った。
しかし彼の強大な実権は王政実現への危惧を引き起こし、ついに共和派のブルートゥスらによって元老院議事堂で暗殺された。

<クレメンティア神>

古代ローマの寛容の女神。
前44年に元老院はユリウス・カエサルと彼の寛容さ(clementia)を称える神殿を建て、中にはカエサルとクレメンティア神が手を取り合った彫像が置かれていたというが、神殿が実際にどの場所にあったかはわかっていない。
前44年のセプリッウス・マケル発行のデナリウス銀貨にはこの神殿と思われる4柱スタイルの神殿が表され、CLEMANTIAE CAESARIS(カエサルのクレメンティア)の銘が刻まれている。

前44年のデナリウス銀貨

<戦勝記念柱>
敗北させた敵の武具などを戦場の立木や棒杭吊るした記念碑。

カルニクス(ガリアの縦笛)や武具の特徴から、ガリア戦争での戦利品であることがわかる。
カエサルのガリア侵略を称えている図像。

トラヤヌスの記念柱に刻まれた戦勝記念柱
古代ローマコイン ユリウス・カエサル ジュリアス・シーザー デナリウス銀貨 前48年 クレメンティア神とガリアの戦争記念柱