古代ローマコイン 帝政期 ティベリウス アス銅貨 22-30年 アウグストゥスの肖像とアラ・プロウィデンティアエ

古代ローマコイン 帝政期 アウグストゥス ティベリウス帝下 アス銅貨

22-30年、ローマ発行

オモテ:DIVVS AVGVSTVS PATER(神格化されたアウグストゥス 父) 放射状王冠をつけた左向きのアウグストゥスの肖像

ウラ: PROVIDENT(先見) SC (Senatvs Consvlto 元老院の承認を得て) 祭壇(アラ・プロウィデンティアエ)

サイズ:10,44g 29mm

ティベリウス帝下に発行されたオモテ面にアウグストゥスの肖像、ウラ面に祭壇(アラ・プロヴィデンティアエ)が刻まれたアス銅貨。


<祭壇(アラ・プロウィデンティアエ)>


アラ・プロウィデンティアエは「(アウグストゥスの)先見の祭壇」。
アラ・プロウィデンティアエがローマのどこにあったのかはわかっていないが、おそらくティベリウス帝の時代にカンプス・マルティウス(マルスの野:ティベリウス川東岸にあり、民会、軍事教練、競技会などがここで行われた)に建てられたのではないかと推測されている。
プロウィデンティアは先見の女神とされるが、特別な神話はない。
「先見」を持つことはローマ皇帝にとって欠かせない力であった。
PROVIDENT(先見)の銘がコインに初めて登場するのがこのコイン。
その後、ウィテリウスやウェスパシアヌスのコインにもアラ・プロウィデンティアエが刻まれた。

<アウグストゥス>

アウグストゥスの彫刻
前63年誕生、後14年死没。
ローマ帝国初代の皇帝(在位前27-後14年)。
本名ガイウス・オクタウィウス。父ガイウス・オクタウィウスは同家で初めて元老院議員になった人物で、母アティアはユリウス・カエサルの妹ユリアの妹。
カエサルは息子がなかったので、オクタウィウスを最も将来性ある若者と見込み、遺言で相続人にしたうえ、養子にした。
カエサルが暗殺された前44年、オクタウィウスはイリュリクムのアポロニアで勉学中であったが、自分がカエサルの相続人兼養子に指名されていることを知り、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと改名。
カエサルの養子という立場を利用して兵を集め、元老院も彼の地位を法的に承認した。
前43年オクタウィアヌスはマルクス・アントニウスとレピドゥスとボノニア(現ボローニャ)で会合して最高権力を共有することに合意。
前43年オクタウィアヌスはアントニウスとレピドゥスと三頭政治を成立させた。
前42年アントニウスとともにマケドニアのフィリッピでブルートゥスとカッシウスを破った。
前40年オクタウィアヌスとアントニウスは会見して協定を結び、アントニウスは東方属州、オクタウィアヌスは西方属州を統治することとなった。
しかし、前36年レピドゥス失脚後は三頭政治は事実上崩壊し、オクタウィアヌスとアントニウスとの対立は不可避となり、
前31年オクタウィアヌスはエジプト女王クレオパトラ7世と組んだアントニウスをアクティウムの海戦で破り、
前30年2人をアレクサンドリアで自殺に追込み、エジプトを併合、地中海世界を平定した。
前27年大権を元老院と国民に返還したが、元老院は彼にアウグストゥス(尊厳な者)という尊号を送り、ヒスパニア、ガリア、シリア、エジプトの統治を10年間委任した。
前23年執政官(コンスル)を辞任したのちも執政官代行として自分の属州を保持、前19年には終身の執政官命令権を与えられた。しかし命令権よりも前23年に与えられた護民官(トリブヌス・プレブス)職権を強調し、道徳的権威によって統治する道を選び、第1の市民プリンケプスであることを望んだ。
また前12年には大神官、前2年には国父と呼ばれた。
内政面では属州を元老院に分割して統治し、税制の改正、公共建造物の造営、神殿の再建、儀式、祭司団の復興をはかった。
また結婚の神聖を回復し、多子家族には公職優先就任権をを与え、奴隷解放を制限して、社会秩序を維持した。
さらに文芸活動を奨励しラテン文学の黄金時代を現出させた。(ブリタニカ国際大百科事典より)

<ティベリウス>

誕生前42年。死没37年。
第2代目ローマ皇帝(在位14〜37年)。
父はティベリウス・クラウディウス・ネロ。母はリウィア・ドルシラ。
オクタウィアヌスが(アウグストゥス)がリウィアを見初めて妻としたため、彼の下で訓練を受け取り立てられる。
パルティア、アルメニアを平定。さらにゲルマニア、ガリアを支配し、その地位を高めたが前6年ロードス島に引退した。
政略結婚させられた妻のユリア(アウグストゥスの娘)の乱業と政争を嫌ったためといわれる。
しかしユリアと前夫アグリッパの間に生まれた2子が続いて死んだため、4年アウグストゥスの養子として政治に復帰、甥のゲルマニクスを養子とさせられた。
アウグストゥスの死後帝位を継ぎ母リウィアが後見となった。一時政治を近衛長官セイヤヌスにまかせたが、彼が専権をふるい帝位をうかがったためこれを倒し、以後は猜疑心にかられ次々と粛清を行った。
政治面では消極的ではあったが辺境を安定させ、属州支配の合理化を行い、役人の収奪を罰するなどして、ローマ帝国支配の基礎を固めた。
節倹をすすめ、見世物を嫌い、食料供給、治水、治安に努め、自らの神格化を拒否するなどすぐれた政治を行った。(ブリタニカ国際大百科事典より)
古代ローマコイン 帝政期 ティベリウス アス銅貨 22-30年 アウグストゥスの肖像とアラ・プロウィデンティアエ