古代ローマコイン 帝政期 カラカラ 皇后プラウティラ 202年 デナリウス銀貨  プラウティラ肖像 カラカラとプラウティラの悲劇の結婚

古代ローマコイン 帝政期 プラウティラ(カラカラの妻) デナリウス銀貨

202年、ローマ発行

オモテ:PLAVTILLAE AVGVSTAE (プラウティラ アウグスタ)
右向きのプラウティラの肖像

ウラ:CONCORDIAE AETERNAE (永遠の和合) 手を取り合うカラカラと妻プラウティア

サイズ:3,32g 19mm

202年のカラカラとプラウティラの結婚の時に発行されたデナリウス銀貨。
ウラ面には手を取り合うカラカラとプラウティラが表されている。
このコインが発行された3年後には、プラウティラは島流しとなった。

プラウティラ

プラウティア彫像 ナポリ考古学博物館
カラカラ皇后 202-205年
セプティミウス・セウェルスに仕えた近衛隊長プラウティアヌスの娘。
202年、14歳のカラカラと結婚するも、3年後は陰謀を企んだとしてリパリ島に流刑にされた。
212年に処刑された。

カラカラ

カラカラ彫像 ナポリ考古学博物館

在位211-217年
188年、セプティミウス・セウェルスの長男としてルグドゥヌム(現リヨン)で誕生。
生れた時の名ははルキウス・セプティミウス・バシアヌス。カラカラは通称。
カラカラはガリア人が着る外套を指す。
カラカラはその外套の丈を長くして、オリジナルの外套を作ったことから、その名で親しまれる。

195年、7歳の時、マルクス・アウレリウス家の養子となり、マルクス・アウレリウス・アントニヌスに改名した。
これは父セウェルスが五賢帝時代の偉大なアントニヌス朝との繋がりを強調するために行われた。
さらに195年、父により「カエサル」の称号を与えられ、副帝に即位。
198年、父セウェルスのパルティア征服の成功の後、カラカラは「アウグストゥス」の称号を与えられた。
この時、1つ違いの弟ゲタには「カエサル」の称号が与えられた。

202年、14歳のカラカラは父の政略で親衛隊長プラウティアヌスの娘プラウティアと結婚させられる。
カラカラはこの結婚をひどく憎んだという。

カラカラとプラウティラの結婚の際に発行されたコイン

205年に、プラウティアヌスの陰謀が発覚し、プラウティアヌスは処刑され、妻プラウティアはリパリ島に流刑となった。
208年、父セウェルス、弟ゲタと共にブリタニア遠征に出発するも、211年にセウェルスが遠征中に死去した。
211年2月、カラカラと209年にアウグストゥス称号を得ていた弟ゲタによる共同統治がスタートしたが、カラカラは
12月にはゲタを殺害し単独皇帝となった。
212年、弟ゲタを支持していた多くの元老院議員を始めとした有力者を処刑。この年島流しにあっていた妻プラウティアも処刑した。
この時代に、ローマで現在も巨大な遺跡として残るカラカラ浴場の建設が開始された。

ローマ カラカラ浴場

カラカラ浴場に飾られていた巨大なヘラクレス像 リュシッポス、ヘラクレス像の模作 ナポリ考古学博物館

また、212年、カラカラはアントニヌス勅令を出し、初めて帝国の全自由民に市民権を与えた。
この勅令はローマ市民が払う付加税によって、帝国の税収入を増やすためであったとも推測されている。

213年、カラカラはゲルマニア遠征に出発し、ゲルマニア国境のドナウ川流域を鎮圧し、「ゲルマニクス・マキシムス」の称号を得た。
翌年、214年には小アジア、215年にはエジプト・アレクサンドリアに到達し、市民をも虐殺したとされる。
その後、一度アンティオキアに戻ってから、216年パルティア遠征に出発した。
遠征中の217年、親衛隊長マクリヌスの反逆によって殺された。


<カラカラの貨幣改鋳 アントニニアヌス銀貨の導入>

カラカラは215年頃に新たな単位の銀貨発行を導入した。
この銀貨は後世の歴史書「ヒストリア・アウグスタ」の中で、アントニニアヌス銀貨と呼ばれたことから、現在、その名で呼ばれるが、発行された当時、何と呼ばれていたのかはわかっていない。

アントニニアヌス銀貨は2デナリウス銀貨の通貨単位として発行されたと推測されている。
実際の銀の含有量は1,5デナリウス銀貨ほどであった。

アントニニアヌス銀貨の特徴は、皇帝の肖像が太陽光線を表す、放射光状王冠を被っていることである。

カラカラのアントニニアヌス銀貨

古代ローマコイン 帝政期 カラカラ 皇后プラウティラ 202年 デナリウス銀貨  プラウティラ肖像 カラカラとプラウティラの悲劇の結婚

販売価格: 60,000円(税込)

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