古代ローマコイン 帝政期 セプティミウス・セウェルス 194年 セステルティウス銅貨 セプティミウス・セウェルス肖像 3モネタ神(金・銀・銅の象徴)

古代ローマコイン 帝政期 セプティミウス・セウェルス 194年 セステルティウス銅貨 セプティミウス・セウェルス肖像 3モネタ神(金・銀・銅の象徴)
古代ローマコイン 帝政期 セプティミウス・セウェルス セステルティウス銅貨

194年、ローマ発行

オモテ:L SEPT SEV PERT AVG IMP III (Lucius Septimus Severus Pertinax Augustus Imperator III ルキウス セプティミウス セウェルス ペルティナクス アウグストゥス インペラトル 3回)
月桂冠を戴いた右向きのセプティミウス・セウェルスの肖像

ウラ:MONET AVG COS II P P(Moneta Augustus Consul II Pater Patriae モネタ アウグストゥス コンスル2回 パテル・パトリアエ(国父)) SC (Senatvs Consvlto 元老院の承認を得て)
それぞれが天秤と豊穣の角を持った3モネタ神

サイズ:19,09g 27mm


セプティミウス・セウェルスはデナリウス銀貨の銀の含有量を下げるなどして、貨幣機能回復をはかった。
このセステルティウス銅貨のウラ面には3モネタ神が表されている。
3モネタ神はセプティミウス・セウェルスの貨幣改革の象徴で、3モネタ神は貨幣材料の3本柱である金属、金・銀・銅を表していると推測されている。


セプティミウス・セウェルス

セプティミウス・セウェルス彫像 ローマ国立博物館
在位193〜211年

セプティミウス・セウェルスは、ローマ史上初の北アフリカ出身のローマ皇帝。
18歳の時にローマへ出てきて、マルクス・アウレリウスから元老院議員に選ばれたことで出世街道に昇った。
192年の年末にコンモドゥス帝が暗殺され、193年の元旦、ペルティナクスが帝位につくも3ヶ月で暗殺され、ローマは混乱。
その後、親衛隊による(元老院を無視した)ローマ皇帝位の「公開競売」が行われ、資産家であったディディウス・ユリアヌスが皇位を競り落とした。
しかし、この時、他に3人の属州総督が皇帝に名乗り出ていた。
シリア総督のペルケニウス・ニゲル、ブリタニア総督のクロディウス・アルビヌス、そしてパンノニア総督のセプティミウス・セウェルスであった。

193年6月1日、元老院はセプティミウス・セウェルスを皇帝とする動議を可決し、ディディウス・ユリアヌスは処刑された。
194年、セプティミウス・セウェルスはアンティオキアでペスケニウス・ニゲルを倒し東方を平定し、195年、7歳の長男のカラカラに「カエサル」の称号を与え、副帝とした。

197年、同じくカエサルの称号を得ていたクロディウス・アルビヌスをルグドゥヌム(現リヨン)で破り、さらにパルティア遠征で首都クテシフォンを陥落させ、パルティアを属州とした。

198年、セウェルスは長男カラカラに「アウグストゥス」の称号を与え共治帝とした。
202年、セウェルスはローマに帰還すると、セウェルスは14歳のカラカラを親衛隊長プラウティアヌスの娘プラウティアと結婚させた。
205年、プラウティアヌスはセウェルスとカラカラの暗殺を計画したとして処刑され、プラウティアはリパリ島に流された。
208年、セウェルスは長男カラカラと次男ゲタを連れブリタニア遠征に出発。
209年にようやく、カラカラと1つ違いのゲタにも「アウグストゥス」の称号が与えられた。
211年、セプティミウス・セウェルスはブリタニア遠征中に死去した。
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コイン解説、写真撮影者:中村めぐみ