古代ローマコイン マルクス・アントニウス オクタウィアヌス 前41年 デナリウス銀貨 第2回三頭政治を象徴する銀貨

古代ローマコイン マルクス・アントニウス オクタウィアヌス デナリウス銀貨

前41年、エフェソス発行

オモテ:M ANT IMP AVG III VIR R P C M BARBAT Q P マルクス・アントニウスの右向きの肖像

ウラ:CAESAR IMP PONT III VIR RPC オクタウィアヌスの右向きの肖像

コインのサイズ:3,03g 20mm

前41年にマルクス・アントニウスがエフェソスで発行したオモテ面にマルクス・アントニウスの肖像、ウラ面にオクタウィアヌスの肖像が刻まれたデナリウス銀貨。
前42年、マケドニアのフィリッピでブルートゥスとカッシウスをオクタウィアヌスと共に倒した後、アントニウスは東方問題処理のため前41年にはエフェソスに留まり東方を統治した。
前43年からのオクタウィアヌスとの三頭政治を象徴するため、貨幣オモテ面に自身の肖像、ウラ面にオクタウィアヌスの肖像を刻んだ。
この貨幣が発行された時、アントニウスは42歳、オクタウィアヌスは22歳。
コインに刻まれたオクタウィアヌスの肖像は20歳前半らしく若々しい。

コイン発行場所エフェソス位置

緑色の部分が前42-前39年までアントニウスが治めていた地域


マルクス・アントニウスの彫刻
<マルクス・アントニウス>
前83年誕生。
古代ローマの将軍・政治家。プレプス(平民)出身。
前54年からガリアでユリウス・カエサルの幕僚として服務。
前52年財務官(クァエストル)、前50年卜占官、その翌年護民官(トリブヌス・プレブス)に選ばれ、ローマでカエサルの代理人を務めた。
しかしカエサルとポンペイウスが対立すると元老院によって追放されカエサルのもとに逃れた。
前50年ファルサルスの戦いではカエサルに従ってポンペイウスを破り前48-47年には騎兵隊長となった。
前44年執政官(コンスル)となり、同年3月カエサルが暗殺されるとその遺言状を公表。追悼演説で民心を扇動し、暗殺者ブルートゥスらはローマ退去を余儀なくされた。
カエサルの養子で財産相続人と定められたオクタウィアヌスと初め対立したが、前43年和解、両者にレピドゥスを加えて第二次三頭政治が成立した。
前42年オクタウィアヌスとともにマケドニアのフィリッピでブルートゥスとカッシウスを破り、この戦いの殊勲者としてアントニウスの信望は高まった。東方問題処理のため東方にとどまり、前41年キリキアのタルソスにクレオパトラを呼び寄せたが、彼女と恋に落ち、その年の冬中アレクサンドリアでともに暮らした。
前40年イタリアに戻り、オクタウィアヌスと会見して協定を結び、アントニウスは東方属州、オクタウィアヌスは西方属州を統治することにし、この協定を固めるためアントニウスはオクタウィアヌスの姉オクタウィアと結婚した。
しかし前37年末頃クレオパトラと結婚してアレクサンドリアに住みつき、オクタウィアヌスとの対立は激化。


アウグストゥスの彫刻
<オクタウィアヌス(アウグストゥス)>
前63年誕生。
後のローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは本名ガイウス・オクタウィウス。
父ガイウス・オクタウィウスは同家で初めて元老院議員になった人で母アチアはカエサルの妹ユリアの娘。
カエサルは息子がいなかったので、オクタウィウスを最も将来性のある若者と見込み、遺言で相続人にしたうえ、養子にした。
カエサルが暗殺された前44年、オクタウィウスはイリュリクムのアポロニアで勉学中であったが、自分がカエサルの相続人兼養子に指名されていることを知り、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと改名。カエサルの養子という立場を利用して兵を集め、元老院も彼の地位を法的に承認した。
前43年オクタウィアヌスはアントニウスとレピドゥスと三頭政治を成立させた。
前42年アントニウスとともにマケドニアのフィリッピでブルートゥスとカッシウスを破った。
前40年オクタウィアヌスとアントニウスは会見して協定を結び、アントニウスは東方属州、オクタウィアヌスは西方属州を統治することとなった。
古代ローマコイン マルクス・アントニウス オクタウィアヌス 前41年 デナリウス銀貨 第2回三頭政治を象徴する銀貨