古代ローマコイン 共和政期 前113-112年 プブリウス・リキニウス・ネルウァ  デナリウス銀貨 古代ローマ、投票の様子が表されたコイン

古代ローマコイン 共和政期 プブリウス・リキニウス・ネルウァ  デナリウス銀貨

前113-前112年、ローマ発行

オモテ:ROMA (ローマ) 槍と馬が描かれた盾をもつ、兜をかぶった、左向きのローマ神 顔の前にXVI(16アス)を示すモノグラム 頭上に三日月

ウラ:PNERVA(プブリウス・ネルウァ) 2人の投票人が投票橋を渡って投票する様子 中央の人物は案内人で、投票板を渡している PNERVAの文字の右上にはPの文字が記された板

サイズ:3,87g 17mm


前113-112年に貨幣発行委員プブリウス・リキニウス・ネルウァが発行したデナリウス銀貨である。
後にプブリウス・リキニウス・ネルウァは、前104年のシチリア属州総督となり、その年にシチリアで奴隷反乱が勃発した。

このコインはウラ面に古代ローマの投票の様子が刻まれた大変貴重な史料である。

2人の投票者が「投票橋」(Pons suffragiorum)を渡って投票する様子が表されている。
3人のうち、両端の2人が投票者で、中央の1人は投票板(ボールのような形状)を渡す係である。
左側の投票者は、投票橋の入口付近で一段下の柵のなかにいる案内人から投票板を受け取っている。
右側の投票者は、投票橋を渡り終え、投票箱に投票板を落としている。

共和政ローマは、元老院、2名の執政官を代表とする政務官、民会からなる混合政体であった。
民会の存在意義は、ローマ市民の意志を反映させるためで、投票によって市民の総意をはかることを目的としていた。

このコインが発行される20年ほど前の、前139年、ローマでは選挙に関する法、ガビニウス法(Lex gabinia)が制定された。
ガビニウス法は護民官ガビニウスによって提出された法令で、この法によって高官選出の投票では、秘密投票が行われることとなった。
キケロは、このガビニウス法による秘密投票が貴族の影響力を奪うことは明白であると述べた。

このガビニウス法が制定されたことによって、前130年頃のローマコインのデナリウス銀貨の意匠が多様化したと考えられている。
ローマの政界で活躍するための役職を手にするためには、選挙の前にコインを通して、自身の祖先の功績などをアピールをする必要が出てきたきたのであった。

そして、プルタルコスやキケロによれば、前119年、マリウスが護民官であった時、マリウスは選挙に関する法を制定したという。
この法によって、投票の際、投票者が投票箱に到達するために渡る、投票橋の幅が狭くなったとされるが、詳しい事はわかっていない。
投票橋を狭くして、一方通行にすることで、選挙の不正を防いだのかもしれない。
プルタルコスはこの法には貴族の力を抑える意図があったと伝えている。

このコインが発行された時のローマは、護民官となって改革を押しす進めようとしたグラッスス兄弟が殺害され、(兄ティべリウスは前133年、弟ガイウスは前121年に殺害された)民衆の権利、自由の擁護を掲げ活動した政治家(民衆派)と伝統的にローマを治めてきた貴族、富裕層の政治家(閥族派)との溝がさらに深くなっていた時期であった。
平民出身のマリウスは前119年護民官として、投票の仕方を改善し、民衆の権利を擁護しようとしたのであった。

前113-112年にこのデナリウス銀貨を発行したリキニウス・ネルウァのリキニウス氏族は平民(プレブス)の著名な家系である。
リキニウス氏族といえば、前367年にリキニウス・セクスティウス法を制定した名門であった。
リキニウス・セクスティウス法はパトリキ(貴族)とプレブス(平民)の政治的平等を目指した法で、この法によってこれまでパトリキによって独占されていた2名の執政官のうち、1名はプレブスから選ぶこととなった。

この平民出身の貨幣発行人が、投票の場面が刻まれたデナリウス銀貨を発行したことは、ガビニウス法やマリウスによる民衆派の選挙改革と関連しているのかもしれない。

また投票の場面を描いたローマコインは、プレブス(平民)出身のルキウス・カッシウス・ロンギヌスが前63年に発行したデナリウス銀貨がある。

前63年 デナリウス銀貨
古代ローマコイン 共和政期 前113-112年 プブリウス・リキニウス・ネルウァ  デナリウス銀貨 古代ローマ、投票の様子が表されたコイン