古代ケルトコイン図鑑

<古代コイン芸術が花開いた古代ケルトコイン>

古代ギリシャコインに限らず、名もなき古代芸術家たちの姿を認めることができるのは、古代ケルト人のコインである。
中でもはガリア(現フランス)、ブリタニア(現イギリス)のケルト人が発行したコインは、ケルト美術を代表する作品といえる。
古代ケルト人のコイン発行は前3世紀頃にスタートした。
古代ギリシャ都市国家が銀でコイン発行をスタートさせたのと異をなして、古代ケルト人は、コイン揺籃期のリディア王国のように、金でコイン発行をスタートさせた。
前4-3世紀、ケルト人がマケドニアの美しい金貨と出会ったことがコイン発行の契機であった。
フィリッポス2世とその息子アレクサンダー大王が発行したマケドニアの金貨は当時、地中海世界で最も信用のあるコインであり、その美しさにケルト人も魅了されたのである。
当時、ケルト人の勢力は強大で、マケドニアの傭兵として活躍したり、地中海世界の多くの地域に侵攻し、人々を脅威にさらしていた。
前390年(または前387年)、ケルト人によるローマ略奪は、ローマ史上屈指の屈辱的出来事としてローマ人に語り継がれた。
後にケルト人の征服者となるローマ人は、この頃はまだイタリア半島の一都市に過ぎなかったのだ。

ケルト人は、大勢の傭兵たちが故郷に持ち帰ったマケドニアのコインを模して、各地でコイン発行を始めていった。
ケルト人が部族単位で発行したコインは、基本的にケルト社会での再分配のために発行されたものであったから、発行量はギリシャ都市国家、マケドニア王国、後のローマと比べれば、スズメの涙ほどであった。
それゆえ現存数も極めて少ない。
ケルト社会のためのコインであったから、すぐにケルト人はマケドニアのプロトタイプのコイン意匠から脱して、各々の部族のコインに、ケルト芸術を花開かせたのである。

古代ケルト人のコイン芸術が別段、異彩を放った理由は、ケルト人の社会形態に所以すると筆者は考える。
ケルト人社会は、古代ギリシャ人のような組織化された都市国家ではなく、王、または族長が民をまとめた部族社会であった。
さらに、カエサルがガリア戦記で述べたように、ケルト社会は王と別に、ドルイドと呼ばれる司祭が社会の頂点にいた。
ガリア戦記によれば、ドルイドは公私のあらゆる論争を裁決する役目も担っていた。
犯罪、殺人が行われたり、相続や国境についての争いが起きれば、ドルイドが裁決して賠償や罰金を決めたと、カエサルは伝えている。
つまりケルト社会の王・族長は戦士たちの長という役割で、社会の主権は神と民の仲介者であるドルイドにあったのである。

人類の神々の世界からの脱却、そして王権社会の産物として産声をあげたコインは、ギリシャ都市国家を通して、体系化・世俗化が進んだ。
しかしコインは、ケルト社会において、もう一度、神々の世界に戻されたのである。

古代ケルトコインはケルト人の信仰、彼らの神々の世界を映し出したものである。
ケルト人は文字によって彼らの文化を残さなかったために、そのコイン図像の詳細を読み解くことは非常に困難である。
しかし、明確にそれが何を表しているのか理解できなくとも、その驚異的とも言えるケルト人の想像力、表現力の豊かさは神秘性に満ちている。
古代ケルト人が彼らの世界で仲間と分かち合っていた美の創造、それに出会えるのが古代ケルトコインなのである。

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