コインのはじまり

 

人類が最初に、丸い、打刻されたコインをつくったのは、紀元前7世紀の小アジア(アジアの西端にあり、トルコの大半部を占めるアナトリア半島)でのことでした。

しかし、金属をお金として使っていた習慣は、すでに、紀元前24世紀のメソポタミアや古代エジプトで起こっていました。

この時代のお金は、重量で価値を決める地金で、支払いの際に量りを使用していました。

紀元前14世紀頃の墓から出土した古代エジプトの壁画、天秤で金のリングが計量されている様子

ジョナサン・ウィリアムズ編『お金の歴史全書』p19より抜粋

 

メソポタミアでは、すでに、地金で社会が成り立っていました。

例えば、メソポタミア北部のエシュヌンナの王の法典には、人の鼻にかみついた時の罰金は銀1ミナ(約500g)で、

また、顔面の平手打ちの罰金は10シケル(1ミナの6分の1)と記されていました。

そのあとの有名なハンムラビ法典では、銀の貸付の際の利子は、20%と定められており、

銀で利子が払えない場合は、銀対穀物の交換レートに従って、穀物で払うこともできました。

 

この時代のお金としての金属は、インゴットやリングにされたり、棒状にして細かくカットできるような形状にされ、

使われていました。

 スーザン・ラニース/フィリパ・メリマン著『図説 金と銀の文化史』 p49より抜粋

 

このように、歴史上、長い期間、重量基準によるお金が世界各地で使われていましたが、紀元前7世紀頃(前650年頃)、

現在のトルコにあたるイオニアで、初めて模様が打刻されたコインがつくられました。

これらは川や鉱山から採掘された、金と銀の自然合金である、エレクトロンでつくられていました。

そのため、色は、美しい淡い黄色をしています。

このコインのデザインは、いたってシンプルなもので、片面にだけ、縄模様のような線が入っていて、

もう片面には打刻の際のパンチの跡が残っています。

最初のエレクトロンコイン、イオニア

イオニアのエレクトロンコイン 前650-前600年頃発行 オモテ面(筆者撮影)

最初のエレクトロンコイン、イオニア

 イオニアのエレクトロンコイン、前650-前600年頃発行、ウラ面(筆者撮影)

 

 

また、このコインが発行された後、イオニアでは雄ジカなどの動物が刻まれたエレクトロンコインも発行されています。

イオニアのエレクトロンコイン

イオニアの雄ジカが刻まれたエレクトロンコイン、前625-前600年頃発行、オモテ面(筆者撮影)

イオニアのエレクトロンコイン

イオニアの雄ジカが刻まれたエレクトロンコイン、前625-前600年頃発行、ウラ面(筆者撮影)

 

 

そして、イオニアの隣のリュディアで、前610年頃から、ライオンの頭部が刻まれたコインがつくられ始めました。

リュディアのエレクトロンコイン

リュディアのエレクトロンコイン、前610-前561年頃発行、オモテ面(筆者撮影)

リュディアのエレクトロンコイン

リュディアのエレクトロンコイン、前610-前561年頃発行、ウラ面(筆者撮影)

 

このエレクトロンコインは、およそ14gの大型のコインを基準として、96分の1と、かなり小型のコインまでつくらていました。

このコインのデザインに使われた模様は、同じ時期の封印や指輪にも見られることから、

おそらく個人的な紋章であったと考えられていますが、それが誰の紋章であったのかはわかっていません。

土地の支配者のものだったのか、神官のものだったのか、裕福な人物のものだったのか。

 

このエレクトロンコインの発掘で、興味深い事例があります。

エフェソスのアルテミス神殿の発掘の際に、神殿の下から、93個のエレクトロンコインと刻印のない銀塊が発見されました。

これらはおそらく、神への奉納物として埋蔵されたと考えられます。

 上記の例のように、これらの初期のエレクトロンコインは、発掘される場所が地域的に限定されているので、

貿易などで使われた商取引のための通貨ではなく、権力者や宗教と結びつきがある貨幣であったと推測されています。

 

ただのインゴットから、綺麗なデザインが入ったコインが発行されるようになった変化には、

貨幣に交換の役割だけではなく、権威の象徴としての役割が必要になったからなのでした。