<古代コイン芸術 序章>


<コインのはじまり>

コイン、今では誰もがこれを日々、何気なく使っている。
しかし、今から約2700年前、前7世紀に起きたコインの誕生、それは人類史における大きな変革であった。
人類は地球上にすでに600万年前には存在していたとされるが、コインを使い出したのは、わずか2700年前の事なのである。
想像しがたい長い時の中に人類は存在してきたが、なぜ突如、前7世紀にコインが誕生したのか。
その明確な答えは未だない。

人類が使用してきた貨幣は、ヒト、動物、金、銀、貝、穀物など、様々である。
それらと、コインとの決定的な違いは、コインに図像が表されたことにある。
丸い小さな金の塊に図像が刻まれたコイン、この発明の意義は、始めて人類が貨幣自体に意思伝達機能を持たせたことにある。
王・国家・共同体などは、コイン図像によって、自らの主権、権威、信仰を社会に伝達したのである。

コインが現トルコにあたるイオニアで発明されてから程なくして、前6世紀、同じくイオニアでは哲学が生まれた。
「万物の原理は水である」と述べたタレスは、イオニア学派の開祖として、哲学の父と呼ばれる。
哲学は、この世界を神話的表現ではなく、合理的な学問的方法によって追求することである。
哲学の原語であるギリシア語のフィロソフィア(philosophia)は「知を愛する」という意味だ。
世界を合理的に解釈しようという試み、つまり哲学が始まった時期に、同じくコインも発明されたことは、決して偶然ではないように思う。
この時期を境に人類は、神々を中心に置いた呪術的な世界を徐々に抜け出し、知による人間自身の社会へと、移行し始めたのである。

知の産物といえるコインの発明によって、その後、人類の経済社会化も加速し、現代では貨幣は電子に至るまでになった。

しばしば貨幣は光にたとえられる。この世の全てのものは光がないと見えず、光自体も何かを介在せずには見えない。
貨幣なしには組織化された社会は形成しえないし、貨幣は何か(例えば金・銀・電子)を介在せずには実体を見せない。
光を放つ太陽の象徴、黄金に介在し、前7世紀、世界で初めて、イオニアで金のコインが誕生した。
その後、長い時代を経て、現代では、貨幣は紙幣やクレジットカードとなり、ついに私たちの生きる社会では電子になった。
今や貨幣は光そのものに近づきつつある。

現代社会はさらなる経済の複雑化が進み、私たち人類はどこに向かうのだろうか。
知の産物、コインの発明は、パンドラの箱から出て行った中身(苦しみ)であるか、残された中身(希望)であるのか。
人間とコインの歴史は続いていく。





<世界最古のコインの原型>

古代ギリシア詩人ピンダロスは、
「金はゼウスの子、虫も錆にもおかされないが、この至上のものを所有することは人の心を蝕む」と詠った。
コインの始まりはゼウスの子、はたまた、太陽の汗と呼ばれる金によってであった。
金はその美しさ、耐久性、加工性、希少性などから、人類史上最も尊ばれてきた。
古来より金は世界各地で秤量貨幣(重さを量って使う貨幣)として使用されていたが、
前7世紀、現トルコにあたるイオニア地方でこの丸型のコインが初めて誕生したのである。




この丸い金塊は小さいながらも、その幻惑な輝きによって、人の目を惹きつける。
オモテ面の太陽光が乱反射したかのような線模様や、ウラ面の深いパンチによる刻みは、金貨がメッキではなく、内部まで金であることを示す意図がある。
これはコインにまだ図像が表される前、いわばコインの揺籃期の形態である。

日本の室町時代の貨幣にも、蛭藻金(ひるもきん)とよばれる金貨が存在する。金を平たく小判にし、表面に蛭藻(水草)のような模様が打ち付けられたことから、蛭藻金と呼ばれる。蛭藻模様も金貨がメッキではないことを、手にしたものがすぐに確かめられるためであった。






<世界最古のコイン、リディア>

程なくして、イオニア地方すぐ隣のリディア王国が、初めて図像を表したコインを発行した。





リディア王国は小さな楕円の金塊に、王のシンボルである獅子を刻んだのである。
これ以降コインから図像が失われたことはない。
人から人へとコインが渡る時、人は否応なしに、そのコインに刻まれた図像を見る。
図像が何かのシンボルであれば人はそれを記憶に刷り込んでいく。
コインに王のシンボルを刻むことによって、人の記憶を支配することを考え出したのが、リディア王国であった。
コインによって主権は王にあることを民に伝達したのである。

また、コインの誕生には、古代人の死生観、それに伴う供犠が大きく関わっている。
何よりもまず古代人は、全ての生物の命は神からの預かりものであると考えていた。
つまり、人は命を神から借り受けたため、一生、神に生に変わる何かを返済し続けねばならないのである。
生命の債務を果せたかどうかが死後の世界(神の世界)に影響すると考えていた。
この生命の債務という観念が供犠へとつながったのである。
代表的な供犠が生贄である。
人は神に対して、人間を始め、動物、そして様々な品々を捧げた。
奉納された壺に入った93枚のリディアのコインがエフェソスのアルテミス神殿の基礎から見つかったことは、コインと供犠の深い関係を示唆する。




上写真のイオニアのエフェソスの金貨にはシカが表されている。エフェソスには世界の7不思議に数えられたアルテミス神殿があった。シカはアルテミス神の聖獣であり、このコインもアルテミス神に捧げられる供犠のために作られたのかもしれない。

様々な供犠を取り仕切るのは司祭である。司祭は神と人をつなぐ役割を担う。つまり神から人へ、人から神への意思を伝達する仲介人である。
それゆえ、古代では自然と司祭がその社会の王となった。日本の例では邪馬台国の卑弥呼が理解しやすい。

供犠という行為が基盤であった古代世界、前7世紀のリディア王国は、コインに王のシンボルを刻むことによって、神から人、人から神という伝達の中に、第三者の意思(リディア王の場合は王権)を介在できることに気づいたのである。

また、最初のコインが金によって作られたという事実は、コインが王権社会の産物であることを物語る。
永遠に錆びることなく輝き続ける金は、太陽を彷彿させる。それゆえ金は王権を象徴するものとして、冠、腕輪、馬具などに使われてきた権力者の持ち物であった。

王国にとって幸運にも、リディアが金鉱豊かな土地であったことを、前5世紀の歴史家ヘロドトスは伝えている。
トモロス山から流れるパトロクス川の砂金によって、エレクトラムと呼ばれる自然合金(金に銀が含まれた琥珀金)が取れたのである。
それゆえリディアの金貨はエレクトラムと呼ばれた。
エレクトラムは古代ギリシア語、ἤλεκτρον (elector)で「輝くもの」を意味し、太陽を表すhelioに由来する。
英語electric(電気)の語源でもある。
コインが古代にエレクトラム金貨からスタートし、現代には電子マネーという形態が誕生したという事実は、貨幣が光のような存在であることを示唆しているのかもしれない。




<コインは古代ギリシャ人によって洗練された>

コインの有能さは瞬く間に地中海世界に広がり、前6世紀、古代ギリシャの多くの都市国家でコインの発行が始められていった。
古代ギリシャ都市国家では銀貨を基準としたコイン制度が体系化された。
コインを体系化し、さらに経済社会において大量に流通させるには、銀の方が金よりも希少性が低く、機能的であったと考えられる。
特に古代ギリシャ都市国家を代表するアテネは、ラウリオン銀山という自然の恵みによって、銀が大量にもたらされた。

都市国家アテネが発行したコインを見てほしい。




これはアテネの初期のテトラドラクマ銀貨である。ドラクマはギリシャの銀貨の基準単位でテトラは4を意味する。つまり4ドラクマ銀貨である。
オモテ面にはアテナ神、ウラ面にアテナ神の聖鳥フクロウが刻まれている。
このアテネのコインは古代世界で絶大に支持され、アテネでは約500年間に渡ってこの図像のコインが発行された。
なぜアテネはこのコイン図像をずっと保持したのか。
それはこのコイン図像がオモテ・ウラの両面で地中海世界で最も信用あるアテネという都市国家自体を表すからだ。
オモテ面のアテナ神は国家の女神であり、ウラ面のフクロウはアテナ神の聖鳥である。フクロウの右側にはアテネを意味するAΘEの文字も表されている。
このコインはアテネという都市国家が具現化されたものなのである。
都市国家アテネの財源は、アクロポリスのアテナ神殿によって保管され、アテナ神の所有物とみなされていた。
市民は戦争などで臨時の財源が必要な時、返済することを約束した上で、アテナ神から資金を借り入れたのである。
コインのアテナ神とフクロウの図像は、コインが市民個人の手に渡ったとしても、それはアテナ神から貸し出されただけで、本来は国家のものであるということ意味しているのである。
つまりアテネのコイン図像は主権が国家にあることを伝達しているのだ。


さらに興味深いことに、私たち現代人は一様にコインと呼んでしまうが、そもそも古代ギリシャ人はコインのことをノミスマ(nomisma)と呼んでいた。
ノミスマは法を意味するノモス(nomos)という単語に由来する。
古代ギリシャの都市国家は民主国家であり、民主国家を支えていたのは法である。
さらにノモス(nomos)は、普遍的調和を意味するコスモス(cosmos)と深い関係にある。
法が混沌とした世界に調和をもたらすことと同様に、コインは社会に秩序をもたらす法であると古代ギリシャ人は考えていた。
コインを法の意味を含むノミスマと呼んでいたことは、コインが法治国家に属するものであることを強く示している。
つまり、ギリシャの都市国家においてコインは国家の一部であった。
都市国家自体を表すがゆえに、国家は民を魅了する美しいコインをつくることが要であった。
それゆえギリシャの各々の都市国家は競い合うかのように、彫刻作品に匹敵するコイン芸術を生み出していったのである。
コインは芸術的才能に秀でたギリシャ人の手によって洗練されたのである。







<古代コイン芸術が花開いた古代ケルトコイン>

古代ギリシャコインに限らず、名もなき古代芸術家たちの姿を認めることができるのは、古代ケルト人のコインである。
中でもはガリア(現フランス)、ブリタニア(現イギリス)のケルト人が発行したコインは、ケルト美術を代表する作品といえる。





古代ケルト人のコイン発行は前3世紀頃にスタートした。
古代ギリシャ都市国家が銀でコイン発行をスタートさせたのと異をなして、古代ケルト人は、コイン揺籃期のリディア王国のように、金でコイン発行をスタートさせた。
前4-3世紀、ケルト人がマケドニアの美しい金貨と出会ったことがコイン発行の契機であった。
フィリッポス2世とその息子アレクサンダー大王が発行したマケドニアの金貨は当時、地中海世界で最も信用のあるコインであり、その美しさにケルト人も魅了されたのである。






当時、ケルト人の勢力は強大で、マケドニアの傭兵として活躍したり、地中海世界の多くの地域に侵攻し、人々を脅威にさらしていた。
前390年(または前387年)、ケルト人によるローマ略奪は、ローマ史上屈指の屈辱的出来事としてローマ人に語り継がれた。
後にケルト人の征服者となるローマ人は、この頃はまだイタリア半島の一都市に過ぎなかったのだ。

ケルト人は、大勢の傭兵たちが故郷に持ち帰ったマケドニアのコインを模して、各地でコイン発行を始めていった。
ケルト人が部族単位で発行したコインは、基本的にケルト社会での再分配のために発行されたものであったから、発行量はギリシャ都市国家、マケドニア王国、後のローマと比べれば、スズメの涙ほどであった。
それゆえ現存数も極めて少ない。
ケルト社会のためのコインであったから、すぐにケルト人はマケドニアのプロトタイプのコイン意匠から脱して、各々の部族のコインに、ケルト芸術を花開かせたのである。

古代ケルト人のコイン芸術が別段、異彩を放った理由は、ケルト人の社会形態に所以すると筆者は考える。
ケルト人社会は、古代ギリシャ人のような組織化された都市国家ではなく、王、または族長が民をまとめた部族社会であった。
さらに、カエサルがガリア戦記で述べたように、ケルト社会は王と別に、ドルイドと呼ばれる司祭が社会の頂点にいた。
ガリア戦記によれば、ドルイドは公私のあらゆる論争を裁決する役目も担っていた。
犯罪、殺人が行われたり、相続や国境についての争いが起きれば、ドルイドが裁決して賠償や罰金を決めたと、カエサルは伝えている。
つまりケルト社会の王・族長は戦士たちの長という役割で、社会の主権は神と民の仲介者であるドルイドにあったのである。

人類の神々の世界からの脱却、そして王権社会の産物として産声をあげたコインは、ギリシャ都市国家を通して、体系化・世俗化が進んだ。
しかしコインは、ケルト社会において、もう一度、神々の世界に戻されたのである。

古代ケルトコインはケルト人の信仰、彼らの神々の世界を映し出したものである。
ケルト人は文字によって彼らの文化を残さなかったために、そのコイン図像の詳細を読み解くことは非常に困難である。
しかし、明確にそれが何を表しているのか理解できなくとも、その驚異的とも言えるケルト人の想像力、表現力の豊かさは神秘性に満ちている。
古代ケルト人が彼らの世界で仲間と分かち合っていた美の創造、それに出会えるのが古代ケルトコインなのである。





<ローマコインの世界:カエサルのものはカエサルに>

ケルト人がコインに芸術性、多様性を持たせたというならば、ローマ人はコインに秩序を持たせたといえる。
ケルト人がコインの発行を始めた前3世紀、ローマ人もローマでのコインの発行を始めていた。
この頃のローマは、ギリシャ人の都市国家アテネやシラクサに比べれば、小さな都市にすぎなかった。初期のローマのコインとすでにギリシャ国家が発行していたコインとを比較してみれば、その技術の差は歴然としている。
しかしローマ人は、コイン発行初期の段階で、ローマ国家を表すROMAの文字や貨幣単位を表す文字をコインに表していた。




ローマ人のアスを基本単位としたコイン体系は秩序だっており、彼らが考案したデナリウス銀貨は古代で最も多く発行され、広く流通したコインである。デナリウスは今もディナールとしてアルジェリアやイラクなどの通貨単位として痕跡を残しつづけている。

そしてローマコインの図像を歴史順に見ていけば、ローマ国家の主権の変遷が読み取れる。
共和政の時代、国家ローマを神格化した女神ローマがコイン図像の定番であったことは、共和政期、主権がローマという国家にあったことが示されている。




共和政期末期、ローマが帝政に向かっていた内乱の頃、ユリウス・カエサルは自身の肖像をコインに刻んだ。ローマで初めて生きている者の肖像をコインに刻んだのはカエサルであった。
コインのカエサルの肖像はローマの主権がカエサルにあることを示したのである。




長らく続いた内乱の果て、ローマに初代皇帝アウグストゥスが誕生した。アウグストゥス以降、ローマコインのオモテ面には代々、皇帝の肖像が刻まれていく。




「カエサルのものはカエサルに」
この言葉はティべリウス帝の時代に生きたイエス・キリストの言葉である。
この時代カエサルという名は、ユリウス・カエサルではなく、ローマ皇帝を指す名称となった。

ある時パリサイ人は、キリストにローマ皇帝に税を納めるのは正しいのか正しくないのかを質問した。パリサイ人は、キリストが全ては神のものであるから神に納めるべきだと答えるのを期待し、その答えを証拠にキリストを反逆罪に問おうと目論んでいたのである。

しかしキリストは、皇帝の肖像の刻まれたデナリウス銀貨を指さして、
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に納めよ」と答えたのであった。
この言葉は現代では、「あるべきものはあるべきところへ」という意味の慣用句としても使われるが、実はコインの歴史においても重要な言葉である。
なぜなら、この名言は、ローマコインの社会的役割を端的に表し、さらに人類史のおけるコインの存在意義をも表しているからだ。
皇帝の肖像が刻まれたローマコインは、帝国中にローマ国家の主権は皇帝にあることを伝達する機能を果たしていたことを示し、 さらにコインが神の産物ではなく、人間による人間のための知の産物であることまでも示してくれる。









<ローマ帝国末期、記号化していくコイン>

ローマ帝政時代、コインには皇帝の肖像が表され続けた。
帝政初期のコインは、皇帝の特長をよく掴んだ、写実的で個性溢れる肖像が表されていたが、帝国末期に近づくにつれ、皇帝の肖像は抽象化し個性を失っていった。




4世紀後半以降のコインは、もはやどの皇帝かは、肖像によっては判断しにくく、刻まれた文字によってどの皇帝のものか判別されることが多い。
ローマ帝国が衰退に向い、次々と皇帝が変わっていくにつれ、皇帝の肖像は個性よりも同一性が目立つようになっていった。
では、帝国初期に見られたコイン肖像の個性とは何だろうか。
それはカリスマ性であったと筆者は考える。
アウグストゥスやネロなどに見られた帝政初期の皇帝のカリスマ性は、ローマ帝国末期には完全に失われた。
カリスマ(Kharisma)という語はギリシア語で神の賜物を指し、超人間的な力を意味する。カリスマは社会学者、マックス・ウェーバーによって現代に普及された語である。

ウェーバーは『支配の社会学』の中で「カリスマ型支配は持続することができず、伝統化されたものへ、または合理化されたものへ、あるいは両方の結合されたものへ変化する」と述べている。

アウグストゥスというカリスマの中のカリスマとも言える人物によってスタートしたローマ皇帝は本来カリスマを持った存在であった。
しかし、ウェーバーのいうように、カリスマ的支配は持続することはできない。

ローマ帝国末期、カリスマが失われた皇帝支配に必要であったのは、「カリスマを持ったローマ皇帝」が記号にされることであった。
帝国末期のコイン肖像に見られる同一性は、ローマ皇帝という存在が記号に変化したことを示すのではないだろうか。




また、ローマ帝国末期、コインだけではなくローマ美術全体が写実性を失ったことは、3世紀に起きた思想の変化によるという見方がある。
つまり、ギリシア哲学とキリスト教の架け橋を担った、最後のギリシア哲学、新プラトン主義の思想である。
新プラトン主義を代表する哲学者プロティノスは、絶対的でこの世の本源なるものを「一者(ト・ヘン)」と呼んだ。
プロティノスによれば、一者から流出される「ヌース」を私たちが受けており、私たちはヌースを通して一者とつながる。ヌースは日本語で訳しがたく、知性、叡智、精霊などと訳される。
ヌースこそが、この世の実在であるとプロティノスは説き、さらに肖像は外観を写すのではなく、ヌースを写すべきだと述べた。
ヌースは決して、実際に見えるものではなく、内なる眼によって見るものであり、現実の世界、つまり写実的な世界は無であった。
つまり美術は、この時代、物質的世界の表現手段である写実性が拒否され、陰影がなくなっていったのである。

やがて、この新プラトン主義の「一者」は「全能の神」としてキリスト教へと繋がっていった。
「一者」と「ヌース」と「人間」という、この世を三つに分けた思想は、キリスト教の「父(神)」と「子(キリスト)」と「精霊」という三位一体教理に影響を与えたとされる。

こうして時代を経へ徐々にキリスト教がローマ帝国中で根付いていく中、帝国の支配に難航していたローマ皇帝は、皇帝のカリスマをキリスト教に置き換えたのであった。
「カリスマを持ったローマ皇帝」は「キリスト教徒ローマ皇帝」という新たな記号として支配を続けようとしたのであった。

そして、古代から中世へと向かう、ローマ帝国終焉期のコイン図像には、ついにキリスト教が十字架という記号として登場したのであった。





大まかにコインの始まり、そして古代ギリシャ、ケルト、ローマ世界のコインについて述べたが、
古代コインの変遷から言えること、それはコインは人類の知の産物であり、そして各々のコインはそれを発行した世界を映しだす光のような存在であるということだ。

古代コインという光によって再び現代に映し出される古代世界を、ぜひ当ギャラリーの「古代コイン芸術」で楽しんで頂きたい。

(2018年12月9日掲載 筆者:中村めぐみ)
※本章掲載のコインは全て当ギャラリー所蔵