<古代コイン芸術展 第1部ー1章 コインの歴史を変えた英雄 ユリウス・カエサルのコイン>



本章では、古代ローマの代名詞的な存在とも言える人物、ユリウス・カエサルのコインを紹介したい。

カエサルという人物は、時代・世界を越えて、なぜこんなにも人々を魅了し続けている存在なのだろうか。

それはカエサルという人物が、普通の人間であったら、留まったり、怖気づいてしまう、人生の数々の場面において、決してひるむことなく、自分が正しいと信ずる道を進んでいった超人間的な存在であるからと感じる。

カエサルは、日頃、自身を運命の女神に祝福された選ばし者であると自負していた。
しかしそれだけではない。
カエサルは、ポンペイウスとのある戦いで完敗させられた時、
次の戦いに出る兵士たちに、「今度は自分たちが運命の女神を助けなくてはいけない時だ」と強く言ったという。
神をも助けるという超能動的思考。
清々しいほどに、自分中心であり、強い。

このカエサルの並々ならぬ強さに、いつの世の人も惹きつけられてきた。

そしてこの強さがあったからこそ、カエサルはローマの政治、社会に様々な変化をもたらした。

ローマコインに起こった変化もその1つである。
カエサルは、ローマで初めて、生きている人間の肖像がコインに刻まれた人物である。
それまでローマでは、神々の肖像、偉大な祖先の肖像をコインに刻むことが習わしであった。
特定の人間の専政を理想としていなかったローマ人の間では、生きている人間をコインに刻むことは、タブーであったようである。

しかし、カエサルの肖像がコインに刻まれてからは、ローマに変化が起きたのだ。
ローマではコインに権力者の肖像が刻まれることが多くなり、アウグストゥス以降、帝政期には当然のように皇帝の肖像がコインに刻まれていく。

筆者が最初にカエサル肖像のコインを、手の上で見ることができたのは高校生の時であった。
カエサルの存在は、コインを手に取って見る前までは、世界史の授業で習った遠い異国の英雄の1人にしか感じていなかった。
しかし、カエサルの肖像のコインを手のひらに載せた時、何故かこの英雄の存在が急に親しく感じられ、自分と何か繋がりがあるかのようにまで感じてしまった。
要するに私は、コインのカエサルの肖像に対して恋心を抱いたのである。
2000年もの時を越えて、はるか彼方の東京の女子高生を魅了するカエサルの魅力恐るべしと言いたいところだが、
これは何も私だけに起こった特別な出来事ではない。
多くの古代ローマ人が、カエサル肖像のコインを目にした時、同じ感動を覚え、それが波となって社会に影響を与えたからこそ、その後、ローマコインでは生きている権力者の肖像が刻まれるようになったのである。

カエサルの肖像のコインは、まさに、歴史を変えてしまった革新的な芸術作品なのだ。


それでは、美しいカエサルの数々のコインをご堪能頂きたい。

<前49年発行、カエサル最初のデナリウス銀貨>

カエサルのコイン発行の開始は、カエサルの一世一代の大勝負、ルビコン川越えに起因する。
カエサルは、ルビコン川越えの時に、名言「賽は投げられた」を言ったとされるが、
この時にカエサルのコイン打刻のハンマーも振り下ろされたのである。

前49年1月10日、カエサルはガリアとイタリアの境界であったルビコン川を越えてイタリアに進攻した。
この時カエサルは、ガリアの軍務で鍛え抜かれた10個軍団と、ガリア・トランサルピナで徴収した約2個軍団に相当する独立大隊と、さらにガリア・ゲルマニアの補助軍・同盟軍を指揮下に置いていた。
ある学者が見積もった所によれば、軍団兵の数は4万5千〜3万に及んだという。

カエサルは政敵ポンペイウスのように元老院の承認によって貨幣を発行できる状況ではなかったため、この莫大な数の兵士の給料を賄うために、独自に貨幣を発行する必要があった。

そこでカエサルがこの時発行を始めたのが、CAESARカエサルの名が正面に大きく刻まれた、斬新な意匠の象のデナリウス銀貨であった。

このコインの発行が開始されたのは、ルビコン川越えに備えてのガリアの地であったか、もしくは、ルビコン川を越えた後、イタリアの地で行われたのではないかと推測されている。

カエサルは進軍していったイタリア各地でこのコインの発行を続けていったと考えられる。
貨幣発行の職人たちが、カエサルの軍団に付随していたのか、現地の職人に発行を委託したのかは定かではない。

また、この象の下にCAESAR カエサルの名が大きく刻まれたインパクトのある意匠決定は誰によってなされたのだろうか。
流行に敏感で、お洒落な人物であったというカエサル自身が考え出したのかもしれない。

象の意匠の解釈の説をいくつか紹介したい。
1つ目は、不運の象徴であるへびを、勝利を意味する象が踏み潰しているという説。

2つ目は、カエサルのガリア征服を意図しているという説。
象が踏みつけているのは、ガリアの兵士が戦いの時に敵を威嚇するために吹いた、たて笛(Carnyx)にも捉えることができる。

3つ目はカエサルというコグノーメン(分家の名)に由来する説。
ユリウス氏族を持つ人物でカエサルというコグノーメンを最初に用いた人物は、第2次ポエニ戦争の間に法務官職に就いたユリウス・カエサル。(ユリウス・カエサルの祖先)
この人物がカエサルと名乗っているのは、ポエニ戦争時にカルタゴ軍が戦闘に使っていた象を倒したからという説。
カルタゴの言葉(フェニキア語)で象はCARSAIで、これに由来してCAESAR カエサルと名乗ったと推測されている。

このように、色々な説があるのは、ひとえに、このコイン意匠が持つ魅力が大きいからではないだろうか。
デザイナーとしての才覚もカエサルにはあったのかもしれない。

そして、コインウラ面に刻まれているのは、神祇事の道具で、これはカエサルが前63年から就いているポンティフェクス・マキシムス(最高神祇官)の地位を意図していると推測される。
右から順番に、
apex:神官がかぶった帽子で先端にオリーブの小枝がついていた
axe:生贄をほふる斧
aspergillum:水をまく道具
simpulum:神酒を注ぐひしゃく


ポンティフェクス・マキシムスはローマの貴族階層によって独占されていた神官団の長。
ポンティフェクスは15名で構成されローマの祭儀や行事の時期を決めていたという。


<前48年発行のカエサルのデナリウス銀貨>

ルビコン川を越え、イタリアを手中におさめたカエサル。
次なる道は東方に逃れたポンペイウス征伐であった。
カエサルは東方へと向かった。

前48年、ファルサロスの戦い(前48年8月9日)での勝利の直後に、カエサルは上写真のデナリウス銀貨の発行を行った。

コインオモテ面のオークの葉の冠を被った女神はクレメンティアと推測されている。
クレメンティアは寛大さ、慈悲深さが神格化された女神で、
カエサルのクレメンティアはカエサルの政治ポリシーでもあった。

カエサルは生涯において数々のクレメンティア(寛容)政策を行ったと云い、
特にコルフィニウムで敵に示したカエサルのクレメンティア(寛容)の話は有名なのである。

前49年、ルビコン川を越えたカエサルは、コルフィニウムでポンペイウス派の政敵ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスの軍隊と衝突するも、ほどなくアヘノバルブスは降伏した。
この時カエサルは総勢50名の元老院議員と騎士階層のポンペイウス派の人々を無傷で解放し、兵士たちにはカエサルに忠誠を誓うよう命じた。
さらに、アヘノバルブスは軍団の給料のために、600万セステルティウスという金を携えてきており、これがコルフィニウムの公職者によってカエサルに引き渡された。
しかし、カエサルはこの金も受け取らず、敵に送り返すよう命じたという。

カエサルのクレメンティアという言葉は定着し、カエサルが暗殺される数カ月前には、元老院によってカエサルのクレメンティアに捧げる神殿も建てられた。

カエサルは、寛容の女神クレメンティアをコインに刻むことによって、そのコインを受けとる兵士たちが同じローマ人同士戦わざるを得なかった悲しみに配慮を示したのだった。

また、クレメンティアの肖像の後ろに刻まれているLIIはローマ数字で52を意味し、このコインが発行された時点のカエサルの年齢を意味しているのではないかと推測されている。

コインウラ面には、カエサルの長年のガリアでの功績を称え、ガリア人の武具の戦勝記念柱が刻まれている。その下には誇らしげにカエサルの名CAESARが刻まれている。
戦勝記念柱(tropaeum トロパエウム)は敗走させた敵の武具を立木などに吊るしたもの。トロフィーの語源となった。


<前47年発行のカエサルのデナリウス銀貨>

前48年、ファルサロスの戦いで敗北したポンペイウスは自身とゆかりの深いエジプトに向うも、着いてすぐに殺害された。
後を追ってエジプトに着いたカエサルの元には、ポンペイウスの首と印章指輪が差し出されたという。
この48年にカエサルはクレオパトラと出会った。
あの、クレオパトラが絨毯に巻かれてカエサルの元に運ばれたという時である。
このカエサルのエジプト滞在中にクレオパトラはカエサリオンを身ごもったと推測されている。
カエサルはエジプトに半年以上滞在し、ようやく重い腰を上げ、次なる戦いへと向かった。

前47年10月、カエサルはローマに一旦帰還し、年末にはシチリア島を経由して、スキピオとポンペイウス派が残るアフリカへと向かった。

上写真のデナリウス銀貨は前47年にシチリア島リリュバエウム(現シチリア島マルサーラ)で発行された。
カエサルはアフリカ遠征の前に、前47年12月17日、シチリア島リリュバエウムに上陸し攻撃の準備を整えたのだ。

コインオモテ面には女神ウェヌスの肖像とC CAESAR IMP COS ITER(ガイウス・カエサル・インペラトル・二度目のコンスル)の銘が刻まれている。

女神ウェヌスは、このコインから何度もカエサルのコインの意匠に登場することとなった。
それはカエサル自身がウェヌスの子孫であると公言していたことに由来する。
ユリウス氏族の名は、トロイアから逃れてイタリアに定住したアエネアスの子イウルスに由来すると主張していた。
アエネアスは人間であるアンキセスと女神ウェヌスの子であり、ユリウス氏族は女神ウェヌスの子孫ということになる。

コインウラ面にはシチリア島の神トリナクルスが船首に足を乗せ、手にシチリア島の象徴であるトリスケルを手にしている姿が刻まれている。
A ALLIENVS PRO COS(アウルス・アリエヌス プロコンスル)の銘からシチリア属州総督アウルス・アリエヌスが発行に携わったことがわかる。


<前47-46年発行のカエサルのデナリウス銀貨>

前47-46年、北アフリカでカエサルは上写真のデナリウス銀貨を発行した。
このコインはポンペイウス派を破ったタプソスの戦いの前後に発行された。
コインの意匠は両面ともカエサルのユリウス氏族の神話が主題である。

オモテ面には前述したコインと同じく女神ウェヌスの肖像。
ウラ面には、父親アンキセスを背負ってトロイアから脱出するアエネアスが刻まれている。
アエネアスが手に持っているのはpalladiumパラディウム。
パラディウムはトロイアにあったパラス(アテナ神の呼称の1つ)の像で、ローマでは、アエネアスがトロイアから脱出した時にこの像を持ち出したとされていた。
なお、パラディウム像はローマのウェスタ神殿に安置されていたとされる。
この北アフリカ発行のデナリウス銀貨にアエネアスが刻まれたのは、コイン発行場所北アフリカのカルタゴ神話に由来すると推測されている。
カルタゴを創設したとされる女王ディドは、アエネアスがトロイアからイタリアに向かう途中に、難破してカルタゴに着いた時に2人は出合い恋仲になったという。
しかし、その後、アエネアスはディドを捨てて出発。ディドは絶望して焼死したという。


<前46年発行のカエサルのアウレウス金貨>

<カエサルの金貨>
カエサルは前46年、ローマでアウレウス金貨の発行を開始した。
ローマでアウレウス金貨の発行を本格的に開始したのはカエサルであった。
それまで、金貨の発行は、ローマの外の戦地で略奪した金や大きな給与の支払いのために一時的に発行されたことしかなかったのである。

前46年、ローマに帰還したカエサルは前代未聞の大規模の凱旋式を行った。
凱旋式はガリア、エジプト、ポントス(ファルナケス王)、アフリカ(ユバ王)に対する勝利を祝うために行われ、祭典は40日間にも及んだ。
凱旋式の行列では、ガリアの族長ウェルキンゲトリクス、クレオパトラの妹アルシノエ、ユバ王の幼い息子たちを代表とした捕虜たちが引っ立てられ、武具や鎧、金銀などの貴重品などの戦利品が馬車で運ばれたという。
豪華絢爛な祭典にローマの人々は熱狂し、カエサルの人気は不動のものとなったのだ。

中でも最も人々を熱狂させたのが、カエサルがばらまいたお金である。
カエサルは、この大規模凱旋式の最後に、惜しげもなく兵士たちに報償を与えた。
カエサルは、兵士一人あたりに5、000デナリウス、百人隊長には10,000デナリウスを与えたという。
5000デナリウスという金額はこの時代の兵士が16年間の満期の軍務についた場合に稼げる金額は3600デナリウスであったことから、この報償金が桁違いな額であったかがわかる。

この莫大なコインの需要に応えるためにローマのカピトリーニの丘の貨幣発行所は大量のコインを発行する必要に迫られた。
そこで、カエサルはデナリウス銀貨25枚に相当する、このアウレウス金貨を大量に発行することによって、この時期の莫大なコイン需要に対応させたのだ。

金 ゴールドの魅力でカエサルは民衆の心を鷲掴みにしたのであった。

コインオモテ面にはC CAESAR COS TERT(Caius Cæsar Consul tertium ガイウス・カエサル 3度目のコンスル)の銘と
ヴェールを被ったウェスタ神の肖像が刻まれている。
ウェスタは炉の女神。フォロ・ロマーノのウェスタ神殿には「不滅の火」が焚かれ、ウェスタの巫女は決してこの火を絶やしてはならなかった。
ウェスタの巫女を任命するのはカエサル務めるポンティフェクス・マキシムス(最高神祇官)の役目であった。
このアウレウス金貨の肖像をポンティフェクス・マキシムスの姿(ヴェールを被っていることから)をしたカエサルではないかという意見もあるが、肖像の顔はあまりカエサルの顔の特徴が見受けられない。

コインウラ面にはA HIRTIVS PR(Aulus Hirtius Praetorアウルス・ヒルティウス プラエトル)の銘と神祇の道具が刻まれている。
前46年にプラエトラル(法務官)に就任したアウルス・ヒルティウスの名が刻まれていることから、この金貨の発行がヒルティウスの管轄の元行われたことがわかる。
ヒルティウスはカエサルの副官としてガリアに従軍し、カエサルから厚い信頼を得ていた。
カエサルの『ガリア戦記』を補足、完成させたことや、そしてかなりのグルメであったことでも知られている。


<前46-45年発行のカエサルのデナリウス銀貨>

前46年、11月カエサルはポンペイウス派の残党、ポンペイウスの息子、兄グナエウス・ポンペイウスと弟セクストゥス・ポンペイウスらが集めた軍団を成敗するために、スペインへ向かった。

前45年3月17日、ムンダの戦いでカエサルが勝利し、兄グナエウスは戦死。
この時スペインの地で発行されたのが上写真のデナリウス銀貨である。
オモテ面には、すでに何度もカエサルのコインの意匠に登場した女神ウェヌスが刻まれている。

しかし、このコインの女神ウェヌスは特別である。
ウェヌスの肩にウェヌスの息子である小さなクピドを乗せていることからウェヌス・ゲネトリクスを表していると考えられている。
ゲネトリクスは女神ウェヌスのepithet(添え名)であり、「母親」という意味である。

カエサルはスペイン戦役に立つ2ヶ月前、あの盛大なローマでの凱旋式の後、前46年9月26日に、ローマのカエサルのフォロの中央に女神ウェヌス・ゲネトリクスの神殿を建てている。
カエサルは自身の氏族ユリウスが女神ウェヌスの末裔であるという神話を、ローマ市民の心に根付かせようとしたのである。

また、ウェヌス・ゲネトリクス神殿に関して興味深いエピソードがある。
前46年末、エジプトの女王クレオパトラが、弟で夫であるプトレマイオス、そして宮廷の人々を引き連れローマにやってきた。
クレオパトラらが滞在したのは、ティベリウス川の反対側にあったカエサルの邸宅の1つで、カエサルが暗殺されるまでそこに滞在していたとされる。
クレオパトラとカエサルの息子カエサリオンはすでにエジプトで誕生していたのか、クレオパトラがローマにきてから産まれたのかは定かでない。

興味深いことに、カエサルはこの前46年に建てられたウェヌス・ゲネトリクス神殿の女神ウェヌス・ゲネトリクスの像の隣に、クレオパトラの黄金製の立像を建てさせたという。
アッピアノス(2世紀のアレクサンドリア生まれの歴史家)によれば、彼が生きた時代にもその像はまだその神殿に残されていたという。
カエサルには、自身の子カエサリオンを出産し母となったクレオパトラと、母なる女神ウェヌスを結び付けようとする意図があったのかもしれない。

そしてコインウラ面にはガリア征服を意味する意匠が刻まれた。
ガリア人の武具が立てられた戦勝記念柱の下には、ガリア男性と女性の捕虜が座り込み、嘆き悲しんでいる。
この意匠には、ガリア戦争でのカエサルの活躍、ガリアがローマにもたらした富を、コインを受け取る古参、新参の兵士に思い起させ、スペインでの戦役で彼らが全力を尽くすことを鼓舞する意図があったと推測される。





<カエサル肖像のコイン>
カエサルの肖像のコインは前44年1月頃に発行が始まったと考えられている。
カエサルがブルータスらに暗殺されたのは前44年3月15日であったから、暗殺のわずか2ヶ月前にカエサルの肖像のコインの発行はスタートしたのである。

ブルータスがカエサルの肖像のコインを初めて目にした時、どのように思っただろうか。
コインに刻まれたカエサルの勇ましい姿に、カエサル個人の権力がここまで大きくなってしまったことへの恐怖、焦り、嫉妬、苛立ちなど、様々な思いがブルータスの胸に沸き起こったに違いない。
きっとブルータスは、手のひらでカエサルの肖像のコインをきつく握りしめたに違いない。
ブルータスがカエサル肖像のコインを見た時に生じたであろう醜い感情も、カエサル殺害へと繋がった一筋の糸なのかもしれないと、
美しいカエサル肖像のコインを見つめていると、つい妄想を膨らませ過ぎてしまう。


これまで生きている人間の肖像が刻まれなかったローマで、カエサルの肖像のコインが発行され始めたことは、カエサル独裁の勢いが増していたことの表れであった。
(生きているローマ人の肖像がコインに刻まれたことは、前196年にローマの執政官フラミニヌスがギリシャで発行した金貨にフラミニヌス自身の肖像を刻んだことが挙げられるが、これはローマでの貨幣発行から外れた例外的なことであった。)

また、ディオ・カッシウス(2-3世紀の政治家・歴史家)は、
「元老院はカエサルに parens patriae (国家の父)という称号を与え、この称号が貨幣に刻まれた」という記述を『ローマ史』の中に残している。
後世の歴史家がこの記述を元老院がカエサルの肖像を刻むことを許可したと解釈したため、一部の書物では、カエサルの肖像が刻まれるのが元老院によって許可されたという記述が見られるが、正確にはそうではないことをここで踏まえておく必要がある。

前44年、カエサルの肖像のコインが発行され始めた年、カエサルは終身独裁官の地位についた。
この称号はローマ共和政の理念とは反した、実質的に王と同じ地位であった。

しかしカエサルは、絶対的な権力を保持しながらも王と称されることは避けていたことが、次のアントニウスとの有名なエピソードからうかがい知れる。

前44年2月15日、カエサル暗殺の1ヶ月前、ルペルカリア祭の日のことであった。
ルペルカリア祭は多産をもたらすための古くからのローマの重要な祭りであった。
この祭りでは、ルペルクスと呼ばれる神官たちが、獣の皮でできた下帯だけをまとってローマ市内を走り、ヤギの皮の鞭で人々を叩いたという。
この鞭に触れられた人は多産に恵まれると考えられていた。

カエサルは月桂冠、凱旋将軍の着用する紫色の衣をつけ、金めっきの椅子に座って、この祭りを見物していたという。
儀式の走者として参加していたアントニウスはカエサルのもとに駆け寄り、王のディアデム(冠)を差し出した。
カエサルが冠を拒絶すると民衆は歓声を上げた。
再度アントニウスが王冠を差し出すと、カエサルは再びこれを拒絶したという。
この繰り返されるカエサルとアントニウスのパフォーマンスによって、民衆が抱くカエサルの好感度は昂揚していった。
最後にカエサルは、ローマの王はユピテル神ただ一人であると言い、この王冠をカピトリーニの丘のユピテル神殿に奉納させたのだった。

このようなカエサルがローマの王といえる情勢の中、
前44年、以下の4人の貨幣発行委員がカエサルの肖像のコインの発行を行った。

Marcus Mettius
Lucius Aemilius Buca
Publius Sepullius Macer
Gaius Cossutius Maridianus

共和政ローマでは、貨幣発行3人委員がコインの発行を管轄していた。
この貨幣発行3人委員の詳細についてわかっていることは少ないが、
ローマでのコインの発行が始まった前3世紀頃にはすでに存在していたのではないかと推測されている。
任期1年の貨幣発行委員は3名で分担されていたため、貨幣発行3人委員と呼ばれた。
この貨幣発行委員という役職は、共和政ローマの公職者のキャリアの門出に与えらたことが多く、この役職に就いたの後に財務官に就任することが多かった。
この役職に立候補するためには、慣例的には27歳以上で軍務経験があることが条件であった。

前44年カエサルの時代に、この役職は一名増員され、貨幣発行4人委員となるが、アウグストゥスの時代にはまた3人委員に戻されている。

これらの4人貨幣発行委員が発行したカエサルの肖像のコインは、カエサルが指示して自身の肖像を刻ませたのか、貨幣発行委員たちがカエサルにへつらうためにカエサルの肖像を選んだのかは議論が分かれる所である。
筆者は直接的にか間接的にかカエサルが指示して自身の肖像をコインに刻ませたのだろうと考える。

先に見てきたように、前49年~前45年までにカエサル自身が戦地で発行してきた貨幣に、カエサル自身の肖像が刻まれたことはなかった。
この時点ではまだカエサルは自身の肖像をコインに刻むことは時期尚早と考えたのか、もしくは、自らコインに自身の肖像を刻んでも、民衆の心には響かないと考えていたのかもしれない。
現在の広告の手法にも見られるように、第三者に認めさせてこそ、その価値が上がると考えていたのではないだろうか。
ローマの貨幣発行委員が行うコインで自身の肖像を刻むことをスタートさせるほうが、より自身の地位が上がるとカエサルは考えていたのではないだろうか。

いずれにせよ、カエサルの肖像はコインに刻まれ、死後もその肖像は刻まれた。

その後、アウグストゥスによって始まる帝政期には、皇帝の肖像をコインに刻むことは慣例となったのだから、カエサルはコインの歴史をも変えてしまったのである。


<前44年発行1-2月発行のカエサル肖像のデナリウス銀貨>

上写真は前44年1月―2月にローマで発行された、カエサル肖像のデナリウス銀貨である。
オモテ面にはCAESAR IMP(カエサル・インペラトル)と月桂冠を戴いたカエサルの肖像が刻まれている。
月桂冠は勝利の象徴である月桂樹の葉でつくられた冠で、凱旋将軍に与えられた。
カエサルは公式の場で月桂冠をつけ出席するのを好んでいたようだが、前44年にはこの月桂冠が黄金製の冠になったという。
カエサルの首の後ろには8本の光線のある星が刻まれている。
ある古銭学者は、この星のシンボルは、カエサルが新しい時代に星のごとく現れた存在であることを意図していると考えている。

ウラ面にはP SEPVLLIVS MACER(Publius Sepullius Macer 前44年の貨幣発行委員の1人)の銘とカエサルのユリウス氏族の神話である女神ウェヌスの立像が刻まれている。
ウェヌスは右手に勝利の女神ウィクトリアをのせ、左手に笏を持っている。ウェヌスの笏の下部にもコインオモテ面に表されていた8本の光線のある星がついている。


<前45年ランプサコス発行のカエサル肖像のブロンズ貨>

そして興味深い事に、ローマでカエサルの肖像が発行され始める前に、既に東方ではカエサルの肖像のコインが発行されていた。
東方ではコインに権力者の肖像が刻む習慣があったため、カエサルの肖像をローマより先にコインに刻んでいたのである。

最初にカエサルの肖像がコインに刻まれたのは、前47-46年頃にニカエア(現トルコ・イズニク)で発行されたブロンズ貨でプロコンスルでカエサルの支持者であったウィビウス・パンサの銘が刻まれている。

そして前45年頃には、ランプサコス(現トルコ・チャナッカレ)でカエサルの肖像が刻まれたブロンズ貨が発行されている。
オモテ面には月桂冠を戴いたカエサルの肖像とCGILの銘が刻まれた。
CGILはcolonia gemella lulia lampsacus(ユリウスのgemella植民市ランプサコス)の略文字であると推測されている。

ウラ面にはQ LVCRETI L PONT II VIR M TVRIO LEG(ルクレティウス ポンティウス 2人委員 トゥリウス 副官)の銘と牛で土地を鋤く神官が刻まれている。
この意匠は新しい植民市を開拓した時に、神官が新しい土地を鋤いた儀式の場面を表していると推測されている。
最高神祇官でもあったカエサルは自らこの開拓の儀式にたずさわったのかもしれない。
カエサルの東方での植民市開拓の貴重な証拠と言えるコインである。

<前44年2-3月発行のカエサル肖像のデナリウス銀貨>

上写真のコインは前44年2-3月にローマで発行されたカエサルの肖像のデナリウス銀貨である。
オモテ面にはDICT PERPETVO CAESAR(終身独裁官カエサル)の銘と月桂冠を戴いたカエサルの肖像が刻まれている。
このコインにはカエサルが前44年2月に終身の権限に延長された終身独裁官を示す称号DICT PERPETVOが刻まれている。
終身独裁官の称号を得て、権力の頂点に登りつめたカエサルの表情は、どこか疲れているように感じさせる。
このコインの疲労感にじみ出たカエサルの肖像には、カエサル最期の日、3月15日のドラマをかさねずにはいられない。

ウラ面にはL.BVCA(Lucius Aemilius Buca 前44年の貨幣発行委員の1人)の銘とカエサルのユリウス氏族の神話である女神ウェヌスの立像が刻まれている。
ウェヌスは右手に勝利の女神ウィクトリアをのせ、左手に笏を持っている。


<前43年発行のカエサル肖像のデナリウス銀貨>


<前44年3月15日、カエサルの死>
カエサルの権力集中に終止符をうつには、カエサルの息を止めるしかないとブルータスらは帰着した。
前44年、カエサルは次なる属州獲得に向け、パルティア遠征出発の手筈であった。
出発してしまえば、カエサルはローマを3年間は留守にするのだった。
ブルータスらはカエサルが遠征に立つ前にしかチャンスはないと考えた。

前44年3月15日、カエサルは23回も短剣で刺され、息絶えた。

しかし、カエサルの存在は死をもってして終わることはなかった。

カエサルの功績を盾に、その後アントニウス、オクタウィアヌスらが権力闘争を繰り広げていくことになる。

カエサルの死後発行された数々のカエサルの肖像のコインが、カエサルがローマ社会に与えた力の強さを証明している。


<神格化されゆくユリウス・カエサル> 

前42年1月1日、カエサルは元老院の議決によって神となった。
上写真のデナリウス銀貨は、その前年の前43年8月頃にローマで発行された。
この年の貨幣発行委員は以下の3人の名がわかっている。
L.Flaminius cilo
P.Accoleius Lariscolus
Petillius Capitolinus

このコインはL.Flaminius ciloが発行したもので、オクタウィアヌスがローマを占拠した前43年夏以降に発行されたと推測されている。

オモテ面には月桂冠を戴いたカエサルの肖像が刻まれている。
銘はあえて何も刻まれていない。
カエサルの肖像は、これまでに発行されたカエサルの肖像のコインと比較して、理想化された美しい顔で表されている。
また銘がないことで、美しい肖像だけが強調される。
見る者にカエサルの神性を抱かせる肖像である。
この神々しいカエサルの肖像のコインからは、翌年のカエサルの神格化の前兆を感じ取ることができるのである。

(2018年4月11日掲載 筆者:中村めぐみ)
※本章掲載のコインは全て当ギャラリー所蔵