古代コインとは Q&A
このページでは古代コインについてをQ&A形式で説明します。


Q1:古代コインとは何ですか?

A1:古代コインとは古代に発行され、古代で使われていた貨幣です。
日本で最も古いコインといえば708年に発行された和同開珎が知られていますが、世界で最も古いコインは現在のトルコで前7世紀に発行されたリディア王国の金貨です。
リディア王国に始まり古代ギリシャ・ローマ・ケルト世界では地中海貿易、戦争、社会・経済の発展に伴い沢山のコインが発行されました。
当ギャラリーが扱っておりますのは主に古代ギリシャ・ローマ・ケルト世界のコインです。
この時代のコインの多くは、手彫りの型に金属を挟み、一枚づつハンマーを使った打刻の方法でつくられたために、一つとして同じものは存在しません。
古代コインの美しさには古代彫刻に通じるものがあります。

コインの始まりについて詳しくは下のページをご覧下さい。
http://www.parisii.jp/page/7

左から、リディア王国の金貨、アテネの銀貨、古代フランス・パリのパリシイ族の金貨、ユリウス・カエサルの銀貨




Q2:古代コインはどうして今も残っているの?

A2:古代、ましてや紀元前のものがどうして残っているのと疑問に思われる方がいらっしゃいます。
日本では縄文・弥生時代にあたる、古代ギリシャ・ローマ時代のコインが残っていることは、日本人からすると驚くべきことです。

お金は捨てられずに代々保管されるものであるため、コインは他の古代遺物より現存している量が多いという事実が前提にはありますが、
古代世界では私たちが想像している以上に貨幣が発行されていました。
例えば古代ローマ帝国では、3-4世紀にかけて数億のコインが発行されたと推定されており、近代に至るまでこんなにもコインが発行されたことはありません。
そのため、帝政末期のローマコインは各地の遺跡発掘や、埋蔵コインの出土などで数多く発見されました。
しかし、古代ギリシャの都市国家が発行したコイン、古代ケルト人が部族単位で発行したコインなど発行量が限られていたコインは、当然ながら現存数も少ないです。

また古代ギリシャ・ローマコインの収集はすでにルネッサンス期には王族たちによって盛んに行われ研究も進められて来ました。
古代西洋の歴史研究はコインによって解明、証明されたことも多く、歴史を紐解く上には欠かせない資料であるゆえ、世界での収集・研究への情熱は深く、古代コインは代々人の手で大事に受け継がれています。

左から井戸に奉納されていたローマコイン、貨幣収集でも名高いハプスブルク家、王族のコイン収集箱




Q3:古代ではコインはどのようにつくられたの?

A3:古代につくられたコインには打刻でつくられたものと鋳造でつくられたものがあります。
打刻のコインの場合は、金属の塊を一つづつやっとこで掴んでかなとこの上に置き、その塊に打刻型をハンマーで押し付けてつくられました。
かなとこにはコインのオモテ面となる意匠、打刻型にはウラ面となる意匠が刻まれており、ハンマーで金属の塊が打たれることによって両面に意匠が打ち込まれました。
それゆえ打刻のコインは一枚一枚が違ったものとなり、それぞれに趣があります。

貨幣をつくる道具一式が刻まれた古代ローマ共和政期のコイン



詳しくはケルトコインのつくられ方のページにも記載しています。
http://www.parisii.jp/page/6




Q4:古代コインはどのように使われていたの?

A4:なぜ前7世紀頃に意匠が刻印されたコインが誕生したのか明確な理由はわかっていませんが、高価な金属で作られたことから、一般市民の商取引などに使われるためではなかったことは明らかです。
最古の打刻コインであるリディアのエレクトロン金貨は、エフェソスのアルテミス神殿の発掘中に神殿の下から93個見つかった事例があり、
これはこの貨幣が宗教的な奉納物として埋蔵されたことを推測させます。
ヘロドトス(前5世紀の歴史家)はリディア王クロイソス(在位約前560-前546年)がアポロン神の神託で有名なデルフォイの市民一人一人に、神から良いお告げをもらった感謝として、2枚のスタテル金貨を贈ったと記述しています。
初期のエレクトロン金貨は宗教的な奉納、贈物としての使用のためにつくられたと推測されています。

前5世紀になるとアイギナ島、アテネ、コリントをはじめとしてギリシャ都市国家で銀貨を中心とした
貨幣発行が急速に広がっていきました。
銀貨の発行は、マケドニア、イタリア、シチリア、キプロス、エーゲ海諸島、北アフリカ、南フランス、小アジアの広範囲に及びました。
特にアテネの銀貨は地中海の国際通貨とも言え、地中海地域の各地で発掘されています。
この事はこの時期にギリシャの各都市国家力の増大に伴い、地中海地方での交易に銀貨が使用されたことを示しています。
また都市内の小規模取引、賃金にも貨幣が使用されたことがわかっています。
例えば前5世紀末、アテナ市民の陪審員には一日につき、3オボロス銀貨(ドラクマ銀貨=6オボロス銀貨)の手当が支払われました。
さらに少額のコイン、つまり銅貨の盛んな発行は前5世紀後半のイタリア南部の都市で始まり、前4-3世紀にはギリシャ世界のほとんどの地域で行れ、日常の生活での取引にもコインが使われるようになって行きました。

そして、マケドニア王国のフィリッポス2世(在位前359-336年)とその息子アレクサンダー大王(前336-323年)の時代が到来し、ギリシャ、ペルシャ帝国が敗北。
フィリッポス2世は、トラキアの豊かな鉱山を資源に大量の金貨・銀貨・銅貨を発行し続けたことが強力な軍事力の維持を可能にしました。
この時発行された金質、銀質が高い上に美観に優れた一連の貨幣は軍隊に支払らわれたものなのです。
この時マケドニアに傭兵として戦ったケルト人は自国にマケドニアのコインを持ち帰り、その貨幣の模倣に始まり、独自の貨幣発行に至りました。

そして、前3世紀になってローマが地中海世界で頭角を現し、カルタゴとのポエニ戦争の時代に入ると、ローマはそれまでの銅の重量を基準とした貨幣体系から、デナリウスと呼ばれる銀貨を基準とした貨幣体系を生み出しました。
ローマでも軍隊への支払いはコインで行われ、ユリウス・カエサルの時代には軍団の兵士一人の年棒が225デナリウスでした。
またユリウス・カエサルは初めてコインに自身の肖像を刻印した人物です。
この時からローマコインには為政者の肖像が刻まれるようになって行き、コイン意匠が政治のプロパガンダに巧みに利用されるまでに発展していったのです。
そしてアウグストゥスの帝政の時代に入り、ローマ帝国の黄金時代の幕開けとなると、それに反映してローマの新たな貨幣体系が確立され、貨幣の発行量、流通量は増大を続けていきました。
帝政期ではコインは庶民の生活においても欠かせないものになっていたことが、古代の文献が示しています。
例えば、アウグストゥス帝の時代の詩人ホラティウスは一番安い公衆浴場の料金がクアドランス銅貨(4分の1アス銅貨)であったと語っています。
また、「ルカによる福音書」では、良きサマリア人の物語で、負傷した人を受け入れた宿屋の主人は2、3日の食事と宿泊代として2デナリウスを受けとったと記されています。

南仏アルルに残る古代ローマの公共浴場跡:ローマ人たちは公共浴場の料金もコインで支払いました。




Q5:扱っている古代コインは本物ですか。

A5:はい、古代コインギャラリー Parisii パリシーが扱っております古代コインは全て本物です。
当ギャラリーは古代コイン、中でも、古代ギリシャ、古代ケルト、古代ローマのコインを専門としており、販売に至るまでに厳格な真贋判定を致しておりますのでご安心下さい。

写真の古代フランス・パリシイ族の金貨はパリ近郊のピュトーの発掘品で、パリシイ族金貨の研究書の発掘品リストに掲載されているコインです。




Q6:古代コインの魅力は何ですか。

A6:古代コインの魅力は様々あると思いますが、当ギャラリーがお伝えしていきたいのは、小さな古代彫刻とも言える古代コインの美しさそのもの、そしてそれぞれのコインから読み取れる歴史ロマンです。

左からロードス島の銀貨、タラントの銀貨、アスペンドスの銀貨、ドナウ河周辺のケルト人の銀貨




Q7:世界で最も有名な古代コインは何ですか。

A7:世界で最も有名な古代コインと言えば、「ブルータス、お前もか」で知られる古代ローマの政治政治家ブルータスが発行した銀貨です。
このコインが世界で最も有名な理由は、このコインそのものが世界史上最も有名な事件であるユリウス・カエサルの暗殺を表しているからです。

左からブルータスの銀貨、カエサルの暗殺を描いた18世紀の絵画

この銀貨はブルータスがユリウス・カエサル暗殺後、前42年に発行したものです。
オモテ面にはブルータスの肖像が刻まれ、
ウラ面には2本の短剣、その間には自由の帽子ピレウス、下部にはEID MARの文字が刻まれています。
短剣はカエサル暗殺に使用した短剣。ピレウスは古代ローマで奴隷が解放される際に被った帽子で、カエサル独裁からの解放を意味しています。
EID MARはカエサルの暗殺日、3月15日を示しています。
当時のローマはカエサルの独裁政治となっており、そのことを危惧したブルータスは理想の共和政治を求め、カエサルの暗殺を実行しました。
コインの意匠でブルータスはカエサルの独裁政治を終焉させたことを誇っているのです。