古代ローマの通貨

ローマコインはローマの歴史の鏡です。ローマコインの歴史は、小さな都市国家にしかすぎなかったローマが、長い年月をかけ大帝国になっていった大叙事詩を反映しています。

初期のローマは今日ではAes Rude(アエス・ルーデ 未加工の青銅の意)と呼ばれる青銅で出来たインゴット(鋳塊)を通貨としており、12unciaウンキア(約327g)を1asアスとした単位でした。

前300年頃、地中海世界で頭角を現すようになったローマは、イタリア南部のギリシャ植民市のコインをモデルに打刻コインを作りはじめました。これらのコインはローマ人の依頼によりイタリア南部で発行されたもので、ローマの名がコインに刻まれています。
この時のコインはデザイン、重量、技法など全くイタリア南部のギリシャ植民市と同じでした。

その後ローマは前264-241年、前218-201年の2回に渡ったカルタゴとのポエニ戦争での勝利で地中海世界の覇者とも言える強国になっていきました。
このカルタゴとの戦いがローマに新しい貨幣制度を生み出させました。
長期に渡る戦いに必要な戦費を国庫から捻出するためには整った貨幣システムが必要不可欠となり、前211年頃に新しいデナリウスという銀貨を主要としたコイン制度が使用されるようになりました。

<前211年以降>
デナリウス銀貨=10アス
キナリウス銀貨= 5アス
セステルティウス銀貨=2,5アス
アス青銅貨=1アス
セミス青銅貨=1/2アス
トリエンス青銅貨=1/3アス
クァドランス青銅貨=1/4アス
セクスタンス青銅貨=1/6アス
ウンキア青銅貨=1/12アス

その後デナリウス銀貨は徐々に重量が減らされるようになり、またアス青銅貨の価値も下落していき、前141年頃にデナリウス銀貨=16アスの単位に改められました。

<前141年以降>
デナリウス銀貨=16アス
キナリウス銀貨=8アス
セステルティウス銀貨=4アス

前83年にはスラによってアウレウス金貨が初めて発行されました。
そしてユリウス・カエサルはガリア戦争(前58-51年)でガリア人から奪った金で盛んにアウレウス金貨の発行を行いました。

内乱が終わりアウグストゥスの勝利によって帝政期を迎えると、紀元前1世紀にはほぼストップしていた青銅貨の発行が新しい形でスタートしました。
アス青銅貨は銅だけでつくられ、共和政期に銀でつくられていたセステルティウスは真鍮でつくられるようになりました。

<帝政期・初期>
アウレウス金貨=25デナリウス
キナリウス金貨=1/2アウレウス
デナリウス銀貨=16アス
キナリウス銀貨=8アス
セステルティウス銅貨=4アス
デュポンディウス銅貨=2アス
アス銅貨=1アス
セミス銅貨=1/2アス
クァドランス銅貨=1/4アス

4世紀以上の間、デナリウス銀貨を主要としたコイン制度は保たれていましたが、コインに含まれる銀の含有量は時代と共に下落していきました。

まずネロ帝下(54-68年)ではアウレウス金貨とデナリウス銀貨の重量が下げられ、デナリウスの銀の含有量が減らされました。

その後、セプティミウス・セウェルス帝下(193-211年)にもデナリウス銀貨の銀の含有量が減らされました。
セプティミウス・セウェルスの長男カラカラ帝(211-217年)の時代になると、2デナリウスの価値にあたるアントニニアヌス銀貨の発行が始まりました。アントニニアヌス銀貨は重量はデナリウスの2倍弱ぐらいでしたが、銀の含有量は約25パーセント低い値でした。
テトリクス帝(271-274年)が発行したアントニニアヌス銀貨にはわずか0,5パーセントも含まれておらず、貨幣の信用は危機的な状態となっていました。

そして3世紀後半、ディオクレティアヌス帝(284-305年)は貨幣の信用を取り戻すために貨幣改革に着手しました。
新たに銀100パーセントのアルゲンティウス銀貨の発行が開始され、デナリウス銀貨は廃止され、新たにヌムス銅貨の大量発行が始まりました。
その後コンスタンティヌス帝は軽量の金貨、ソリドゥス金貨の発行を導入し、新たな貨幣制度の基本軸としました。
ソリドゥス金貨は長く生き残り、ビザンツ帝国の主要な単位貨幣となっていきました。

<ディオクレティアヌス帝時代>
ソリドゥス金貨=10アルゲンティウス
アルゲンティウス銀貨=4ヌムス