ケルトコインの歴史―ガリアにおける貨幣発行

 ガリア(現在のフランス・ベルギーの全土とオランダ・ドイツ・スイス・イタリアの一部)での最初の貨幣発行は紀元前4-前3世紀   のことでした。 マケドニアのフィリッポス2世(前359-336年)、またその後継者たちアレキサンドロス大王(前336-323年)、フィリッ ポス3世(前323-317)によって発行されたスタテル金貨を模倣することから貨幣発行をスタートしました。


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当時、傭兵として地中海世界で活躍していたケルト人は、給料として支払われた金貨を故郷に持ち帰り、忠実に再現して発行しました。マケドニアのスタテル金貨は相当量が地中海世界において流通していたこと、またその図像の完成度の高さ、美しさ(表面はアポロンの肖像、裏面はBC356のオリンピア祭での二頭立て馬車のレースでの勝利を記念した、二頭立て馬車の図像)から、古代世界において誰もが信用を置く貨幣でありました。


貨幣発行に関してはまだ未熟でしたが、トルク(ケルト人の首環)が例にあげられるように、銀ではなく金という金属により親しんでいたガリア人がこの貨幣を模範にしたというのは、自然の成り行きであったと考えられます。

また、マケドニアのスタテル金貨を原型とした貨幣以外にも、他の貨幣を原型とした貨幣も存在しました。例えば、ギリシア人の植民市である、RosasやAmpurias(現在のスペイン北西部に位置する)、フォカイア人の植民市マルセイユでした。これらの都市ではギリシアと同じ銀本位の貨幣が発行されました。また、ローマコインも南ガリアにはすでに紀元前2世紀には到達しており、ローマコインを模倣したケルトコインも数多く存在しました。
前述しましたようにガリアでは、当初、マケドニアのスタテル金貨を忠実に模倣していましたが、前2世紀にはケルトコインの発行量が増え、徐々に貨幣図像も部族ごとに発展し、ケルトらしさが前面に押し出されるようになりました。 この変化は、ガリアでのオッピドゥム(城壁に囲まれた都市で、工業地区も存在した場合もあったし、経済活動の場であって、時には駐屯地、宗教地も存在した。)の増加に伴って、貨幣経済が刺激された結果であると考えられます。
こうして、ケルトコインの黄金期が始まりました。他の壮麗なケルト美術に見られたようなケルト様式とギリシア=エトルリア様式が融合したラ・テーヌ様式がようやく貨幣の図像にも現れて来たのです。ガリアの部族はこの時代、デザインを競い合うかのように、個性豊かなモティ-フを生み出して行きました。特に、現在のパリ地域に居住していたパリシイ族(フランスの首都パリの語源となった、パリとその周辺地域に居住していたケルト人)が発行した貨幣はケルト貨幣のデザインの中で最高峰と言われ、その美しさは目をみはるものです。その美しさ、オリジナリティはフランス人のルーツといわれ、フランスではさまざまなデザインに取り入れられています。
パリシイ族の貨幣の歴史について、詳しく知りたい方はコチラ
http://www.parisii.jp/page/3
パリのメトロの7号線、ポン・ヌフ駅(PONT NEUF LA MONNAIE)にはパリの貨幣をモティーフに駅の装飾が行われましたが、パリシー族の金貨をかたどったオブジェがパリの最初の貨幣として飾られました。


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またおよそ前2世紀から北ガリアではポタン(POTIN)とよばれる鋳造のブロンズ貨が大量に発行され流通しました。同年代に発行された金貨とは図像、製造方法も全く異なっていました。 これらの貨幣は発掘される数が大量であることと、材質から考えて、日常の小さな取引きに好んで使用されたことが推測できますが、近年の発掘調査によると、宗教地から大量に出土することから、奉納貨として発行された可能性も否めないという研究結果が出ています。


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そして、ローマの勢力が徐々に増し、ユリウス・カエサルのガリア戦争が起こる時代になると、ガリアでは金貨の金質が低下して行き、打刻のブロンズ貨の発行が増加していきました。この頃のガリアコインは図像にローマ的な要素が見られるようになり、ローマの影響が大きかったことが貨幣からも読み取ることができます。
ガリア戦争を終えて、ガリア全土がローマの属州となってからもすぐに、ローマコインがガリアに潤滑に浸透していったわけではありませんでした。アウグストゥスによって、ルグドゥヌム(現在のリヨン)にガリアの首都が置かれ、ローマコインの発行所が作られ、そこで大量のローマコインが発行されましたが、とてもガリア全土で使用される貨幣を発行するには至りませんでした。ガリアにおいて、ローマ化が始まったことにより、ガリアでの貨幣経済も発展し、さらに大量の貨幣が必要となったため、ケルトコインの発行は独立時代よりも増えたと考えられています。 フラウィウス朝(フェスパシアヌス・ティトゥス・ドミティアヌス)の時代になってようやくガリアにおいてケルト貨幣の流通は消えていったのでした。