古代コイン、今日の1枚

フランスのローマ遺跡、ポン・デュ・ガール

きれいな水。

それは私が生きていく上ではなくてはならい、最も大切な自然の恵みです。
そのきれいな水をはるか遠くの水源から、山や谷を越え、都市に住む人々に届けるために、ローマ人は水道橋を各地に建設しました。

「水を制するものが国を制する」という言葉はよく耳にする言葉ですが、ローマ人は水道橋をローマ帝国中に完備することで人々に、きれいな水を配給することができたのです。人々は飲み水だけでなく、テルマエなどの娯楽にも水を惜しみなく使うことができました。

ローマ人にとって、水道橋は生活を支える、敬うべき建造物でした。それゆえ、ローマコインにも、水道橋が刻まれているものがあります。

ローマコイン・マルキア水道橋
マルキア水道橋が刻まれたローマコイン

このコインはルキウス・マルキウス・フィリップスが発行したもので、コインの裏面には彼の祖先クイントゥス・マルキウス・レックスが前144年に建設したマルキア水道橋が刻まれています。
コインに刻まれている水道橋は、美しいアーチが連なり、上部にはクイントゥス・マルキウス・レックスと思われる馬にまたがった人物の像が飾られています。このコインが発行されたことからも、ローマ人が水道橋を単なる水を運ぶ設備としてではなく、人々の生活に恵みをもたらす、敬うべきものとして捉えていたことがわかります。

そして、本日は南仏にある、ローマ水道橋、ポン・ドュ・ガールを紹介したいと思います。
この水道橋は現存するローマ水道橋の中で、最も景観が美しく、見るものに深い感動を与えます。ポン・デュ・ガールは、紀元1世紀中ごろ、ローマ都市ネマウスス(現在のニーム)に住んでいた人々によって、ニームからおよそ50kmはなれたユゼスの水を引くためにわずか5年の歳月でつくられました。水道橋の出発地点から到着地点の標高差は12,6mしかなく、当時の人の技術の高さは相当のものでありました。

Aqueduct-de-nimes.jpg
約50kmにわたる水道橋のルート

ポン・デュ・ガール
筆者撮影

ポン・デュ・ガールとガール川の水面に映ったポン・デュ・ガールは、かつてこの地にこのようなとてつもない建造物を作り上げた、古代ローマ人の偉大さを、二倍の迫力で感じさせられます。

水道橋の下におりて、基礎部分を見て見ると、平らではなく、凸凹した岩肌に、石が綺麗に積み上げられていることに驚きました。

ポン・デュ・ガール
筆者撮影

また、水道橋の隣につくられた橋を渡って、水道橋の石組み近くで観察してみると、いくつかの石は他の石よりも長く、飛び出しています。これは、水道橋建設時の足場を支えるために、石を飛び出させたと考えられています。

ポン・デュ・ガール
筆者撮影

このような神業とも言える技術によって、ポン・デュ・ガールは一日におよそ40000立方メートルもの水をニームに運ぶことができました。ニームにはこの水道橋の終点であった、Castellum(貯水槽)が残っており、今も見ることができます。

ニーム・貯水槽
ニームの街にひっそりと残っています。(筆者撮影)

ニーム・貯水槽の復元模型
ポン・デュ・ガールの博物館にある、ニームの貯水槽の復元模型 (筆者撮影)

しかし4世紀ローマ帝国の衰退の時代になると、水道管に石灰岩が堆積してしまい、管理が難しくなっていき、6世紀の初頭には全く使われなくなっていったと推測されています。

ポン・デュ・ガール最上部
石灰岩が堆積した、水道橋最上部。

現代人の私などは、およそ500年間もの間使われ続けられた、建造物が存在したことに驚きましたし、またそれが現在もびくともせずに立ち続けているという事実に畏怖の念さえ抱きました。


現在東京の中心にたつ高層ビル群は、2000年後にも、たちつづけていることがはたしてできるのでしょうか・・・